「犬山城」に関するクイズを3択形式で23問ご用意しました。
各問の後に「答え」と「解説」を付けています。ぜひお楽しみください。
1. 犬山城が最初に築かれたのは、誰の手によるものといわれているでしょうか?
- 豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)
- 織田信康(おだ のぶやす/のぶやす、と表記されることも)
- 徳川家康(とくがわ いえやす)
答え:2. 織田信康
解説:
1537年(天文6年)、織田信長の叔父にあたる織田信康が、前身である「木之下城」を移築する形で犬山城を築いたといわれています。
解説:
1537年(天文6年)、織田信長の叔父にあたる織田信康が、前身である「木之下城」を移築する形で犬山城を築いたといわれています。
2. 犬山城が「白帝城(はくていじょう)」とも呼ばれるようになった理由は、何にちなむと伝えられているでしょうか?
- 中国・李白の漢詩「早発白帝城」
- 豊臣秀吉の自筆書状
- 犬山城主の家紋
答え:1. 中国・李白の漢詩「早発白帝城」
解説:
江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅう そらい)が、李白の漢詩にちなんで犬山城を「白帝城」と呼んだことに由来しています。
解説:
江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅう そらい)が、李白の漢詩にちなんで犬山城を「白帝城」と呼んだことに由来しています。
3. 犬山城の天守は、日本で最古の天守として知られていますが、そのほかにどのように分類されるお城でしょうか?
- 「現存12天守」の一つ
- 「続日本100名城」の一つ
- 「国指定重要文化財」のみ
答え:1. 「現存12天守」の一つ
解説:
江戸時代以前に建造された天守が当時の姿のまま現存する城を「現存12天守」と呼び、犬山城もその中の一つです。同時に、天守が国宝指定された5城の一つでもあります。
解説:
江戸時代以前に建造された天守が当時の姿のまま現存する城を「現存12天守」と呼び、犬山城もその中の一つです。同時に、天守が国宝指定された5城の一つでもあります。
4. 犬山城が立地するのは、どのような地形でしょうか?
- 完全な平城(ひらじろ)
- 木曽川南岸の小高い丘の上(平山城)
- 山の麓に広がる広大な平地
答え:2. 木曽川南岸の小高い丘の上(平山城)
解説:
犬山城は標高約88mほどの丘に築かれた平山城で、背後には木曽川が流れています。
解説:
犬山城は標高約88mほどの丘に築かれた平山城で、背後には木曽川が流れています。
5. 戦国時代、犬山城の所有をめぐって「小牧・長久手の戦い」が勃発しました。この戦いの当事者として正しい組み合わせはどれでしょうか?
- 豊臣秀吉軍 vs. 徳川家康・織田信雄軍
- 伊達政宗軍 vs. 毛利輝元軍
- 武田勝頼軍 vs. 徳川家康軍
答え:1. 豊臣秀吉軍 vs. 徳川家康・織田信雄軍
解説:
1584年、犬山城を拠点とした池田恒興(ひでおき)が秀吉方として動き、織田信雄・徳川家康と激突したのが小牧・長久手の戦いです。
解説:
1584年、犬山城を拠点とした池田恒興(ひでおき)が秀吉方として動き、織田信雄・徳川家康と激突したのが小牧・長久手の戦いです。
6. 犬山城は江戸時代になると、どの家が代々城主を務めたでしょうか?
- 織田家
- 成瀬家
- 森家
答え:2. 成瀬家
解説:
犬山城は、1617年(元和3年)以降、尾張徳川家の重臣である成瀬正成が初代城主となり、明治維新まで成瀬家が城主を務めました。
解説:
犬山城は、1617年(元和3年)以降、尾張徳川家の重臣である成瀬正成が初代城主となり、明治維新まで成瀬家が城主を務めました。
7. 1891年(明治24年)の濃尾大震災で大きな被害を受けた犬山城天守が修理された結果、昭和時代にどのように指定されることになったでしょうか?
- 重要文化財
- 国宝
- 未指定
答え:2. 国宝
解説:
修理を受けて保存された犬山城天守は、昭和時代になると国宝に指定されました。日本で最古の天守の価値が認められたのです。
解説:
修理を受けて保存された犬山城天守は、昭和時代になると国宝に指定されました。日本で最古の天守の価値が認められたのです。
8. 2004年(平成16年)まで犬山城は、どのように扱われていた珍しい例でしょうか?
- 天守だけが総コンクリート造だった
- 民間企業の共有財産だった
- 日本で唯一の個人所有の城だった
答え:3. 日本で唯一の個人所有の城だった
解説:
長らく成瀬家が所有していましたが、2004年4月より財団法人(現・公益財団法人)犬山城白帝文庫へ移管され、今ではそちらが管理を行っています。
解説:
長らく成瀬家が所有していましたが、2004年4月より財団法人(現・公益財団法人)犬山城白帝文庫へ移管され、今ではそちらが管理を行っています。
9. 犬山城天守の最上階(4階)に設けられた、外周を取り囲むベランダのような造りを何と呼ぶでしょうか?
- 櫓門(やぐらもん)
- 廻縁(まわりえん)
- 土塀(どべい)
答え:2. 廻縁(まわりえん)
解説:
犬山城天守の最上階には、360度の景観を楽しめる「廻縁」と、その手すりである「高欄(こうらん)」が巡らされています。この造りに出られる現存天守は貴重です。
解説:
犬山城天守の最上階には、360度の景観を楽しめる「廻縁」と、その手すりである「高欄(こうらん)」が巡らされています。この造りに出られる現存天守は貴重です。
10. 犬山城の最上階、江戸時代から敷かれていた「赤いじゅうたん」の逸話は、誰の趣向によって伝わったものでしょうか?
- 成瀬家の7代当主・正壽(まさひさ)
- 豊臣秀吉の家臣・加藤清正
- 徳川家康の孫・松平忠吉
答え:1. 成瀬家の7代当主・正壽(まさひさ)
解説:
成瀬正壽(まさひさ)はオランダ商館との交流があったとされ、その影響で天守の最上階に赤いじゅうたんを敷いたという伝承があります。昭和の修理で再現されました。
解説:
成瀬正壽(まさひさ)はオランダ商館との交流があったとされ、その影響で天守の最上階に赤いじゅうたんを敷いたという伝承があります。昭和の修理で再現されました。
11. 犬山城は「背後が木曽川を臨み、攻めにくい」という特徴を持ちますが、こうした構造を特に何と呼ぶでしょうか?
- 「後堅固の城」(うしろけんごのしろ)
- 「八方美人の城」
- 「水城」
答え:1. 「後堅固の城」(うしろけんごのしろ)
解説:
川側(北側~西側)が断崖となり、攻め入りづらい城を「後堅固」と呼びます。犬山城は代表例の一つです。
解説:
川側(北側~西側)が断崖となり、攻め入りづらい城を「後堅固」と呼びます。犬山城は代表例の一つです。
12. 犬山城天守1階・2階の部屋の周囲を取り囲む、武士がすばやく移動できる通路を何と呼ぶでしょうか?
- 武者走り(むしゃばしり)
- 大手道(おおてみち)
- 武芸廊下(ぶげいろうか)
答え:1. 武者走り(むしゃばしり)
解説:
犬山城の天守内部で、部屋の外周に設けられた細い通路を「武者走り」といいます。敵の侵入に備え、武士たちが走り回れる動線として機能しました。
解説:
犬山城の天守内部で、部屋の外周に設けられた細い通路を「武者走り」といいます。敵の侵入に備え、武士たちが走り回れる動線として機能しました。
13. 犬山城天守の外観には、弓なりの「唐破風(からはふ)」と三角形の「入母屋破風(いりもやはふ)」が交互に取り付けられていますが、それぞれどの方角に設置されているでしょうか?
- 唐破風が東西、入母屋破風が南北
- 唐破風が南北、入母屋破風が東西
- いずれも同じ面に並列する
答え:2. 唐破風が南北、入母屋破風が東西
解説:
犬山城天守では、南北面に弓なりの唐破風、東西面に三角形の入母屋破風を配しているのが外観上の大きな特徴です。
解説:
犬山城天守では、南北面に弓なりの唐破風、東西面に三角形の入母屋破風を配しているのが外観上の大きな特徴です。
14. 犬山城天守最上階の外壁にある「華頭窓(かとうまど)」は、どのような機能を持つ窓でしょうか?
- 外の景色を大きく取り込む採光用
- 格子戸付きで防御性を高める窓
- 開閉ができず、飾りとして設けられた窓
答え:3. 開閉ができず、飾りとして設けられた窓
解説:
最上階の華頭窓(かとうまど)は実際には開閉せず、格式を示すために取り付けられた“飾り窓”です。
解説:
最上階の華頭窓(かとうまど)は実際には開閉せず、格式を示すために取り付けられた“飾り窓”です。
15. 天守から外に突き出ていて、石垣をよじ登る敵に対して石を落とすなど防御する設備を何と呼ぶでしょうか?
- 弓櫓(ゆみやぐら)
- 石落とし(いしおとし)
- 落書き
答え:2. 石落とし(いしおとし)
解説:
犬山城の石落としは、外観下部が広がる「袴腰型(はかまごしかた)」の形状で、1階からせり出すように設けられています。
解説:
犬山城の石落としは、外観下部が広がる「袴腰型(はかまごしかた)」の形状で、1階からせり出すように設けられています。
16. 犬山城本丸近くにそびえ立っていた樹齢約650年の御神木が枯れたあとは、しめ縄を施して祀られています。これは何と呼ばれているでしょうか?
- 大杉様(おおすぎさま)
- 神桜(かみざくら)
- 神松(しんしょう)
答え:1. 大杉様(おおすぎさま)
解説:
犬山城を風・雷から守ったと伝わる杉の木で、天守と同じ高さとも言われました。枯れた後も「大杉様」として祀られています。
解説:
犬山城を風・雷から守ったと伝わる杉の木で、天守と同じ高さとも言われました。枯れた後も「大杉様」として祀られています。
17. 犬山城周辺にあった「愛宕神社(あたごじんじゃ)」は、犬山城が移される前に存在したどの城の跡地に建てられたといわれているでしょうか?
- 木之下城(きのしたじょう)
- 小牧城(こまきじょう)
- 稲葉山城(いなばやまじょう)
答え:1. 木之下城(きのしたじょう)
解説:
犬山城の前身である木之下城は1469年(文明元年)頃に築かれたとされ、1537年に城郭を犬山の地へ移したことで廃城となりました。その跡地に愛宕神社が建っています。
解説:
犬山城の前身である木之下城は1469年(文明元年)頃に築かれたとされ、1537年に城郭を犬山の地へ移したことで廃城となりました。その跡地に愛宕神社が建っています。
18. 犬山城とその城下町の歴史や成瀬家の工芸品などを展示している施設「城とまちミュージアム」の正式名称は次のうちどれでしょうか?
- 犬山市文化史料館
- なるせ記念博物館
- 犬山考古資料センター
答え:1. 犬山市文化史料館
解説:
愛称「城とまちミュージアム」として親しまれています。江戸・昭和・平成時代の鯱瓦や犬山祭のジオラマなど、歴史資料を見学できます。
解説:
愛称「城とまちミュージアム」として親しまれています。江戸・昭和・平成時代の鯱瓦や犬山祭のジオラマなど、歴史資料を見学できます。
19. 江戸時代に整備された犬山城下町は、城と一体となった「総構え」の形式をとっていました。その特徴は何でしょうか?
- 城下町も含めて堀で囲み、防御を固めている
- 城主の居館を町の中心に移動させる
- 外濠を廃止して商人町に特化した
答え:1. 城下町も含めて堀で囲み、防御を固めている
解説:
犬山城の周辺では、城だけでなく町も一体で守りを固める「総構え」が行われていました。かつては城下を堀で囲み、防御性を高めていたのです。
解説:
犬山城の周辺では、城だけでなく町も一体で守りを固める「総構え」が行われていました。かつては城下を堀で囲み、防御性を高めていたのです。
20. 犬山城天守の最上階は、どのような「破風(はふ)」を持つ造りでしょうか?
- 廻縁のない切妻造り
- 入母屋破風と唐破風が組み合わさっている
- 破風は存在しない
答え:2. 入母屋破風と唐破風が組み合わさっている
解説:
犬山城は南北に唐破風、東西に入母屋破風がつけられ、外観上の大きな特徴になっています。
解説:
犬山城は南北に唐破風、東西に入母屋破風がつけられ、外観上の大きな特徴になっています。
21. 江戸時代の武家茶道「有楽流(うらくりゅう)」の開祖である織田有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵(じょあん)」は、犬山城のどのエリア近くにあるでしょうか?
- 犬山城の東にあるホテルインディゴ 犬山 有楽苑の敷地内
- 犬山城の本丸内部
- 城下町の商家に併設
答え:1. 犬山城の東にあるホテルインディゴ 犬山 有楽苑の敷地内
解説:
織田信長の弟・織田有楽斎(長益)が建てたと伝わる「如庵」は、犬山城の東に位置する有楽苑(ホテルインディゴ 犬山 有楽苑の一角)に移築され、国宝に指定されています。
解説:
織田信長の弟・織田有楽斎(長益)が建てたと伝わる「如庵」は、犬山城の東に位置する有楽苑(ホテルインディゴ 犬山 有楽苑の一角)に移築され、国宝に指定されています。
22. 犬山城の天守台石垣は、石を加工せず積み上げる手法で造られています。これは一般に何積みと呼ばれるでしょうか?
- 打込接ぎ(うちこみはぎ)
- 切込接ぎ(きりこみはぎ)
- 野面積み(のづらづみ)
答え:3. 野面積み(のづらづみ)
解説:
犬山城の天守台石垣は自然石をほぼ加工せずに積み上げる「野面積み」で作られており、高さおよそ5m。戦国期の石垣によく見られる技法です。
解説:
犬山城の天守台石垣は自然石をほぼ加工せずに積み上げる「野面積み」で作られており、高さおよそ5m。戦国期の石垣によく見られる技法です。
23. 犬山城が日本100名城に選定されたのは何番目としてでしょうか?
- 43番
- 22番
- 59番
答え:1. 43番
解説:
2006年(平成18年)4月6日に日本100名城が発表された際、犬山城は43番として選定されています。国宝天守や長い歴史が高く評価されました。
解説:
2006年(平成18年)4月6日に日本100名城が発表された際、犬山城は43番として選定されています。国宝天守や長い歴史が高く評価されました。
まとめ
犬山城は「日本最古の国宝天守」として、また美しい木曽川を背にした「後堅固の城」として知られています。
廻縁からの絶景や、城下町との一体的な防御構造など、見るべきところが多いお城です。
ぜひ現地を訪れて、戦国から江戸へと続く犬山の歴史を実感してみてください。