「名古屋城」に関する3択クイズを27問ご用意しました。
それぞれの問題の後に「答え」と「解説」を付けていますので、ぜひお楽しみください。
1. 名古屋城は現在、天守閣に入ることができるでしょうか?
- いつでも自由に入れる
- 現在は耐震上の問題で入れない
- 夏の間だけ入れる
答え:2. 現在は耐震上の問題で入れない
解説: 名古屋城の鉄筋コンクリート造天守は耐震性が低いとされ、2023年現在は安全面の観点から天守閣への立ち入りが禁止されています。木造復元の計画はあるものの、具体的な再開時期は未定です。
解説: 名古屋城の鉄筋コンクリート造天守は耐震性が低いとされ、2023年現在は安全面の観点から天守閣への立ち入りが禁止されています。木造復元の計画はあるものの、具体的な再開時期は未定です。
2. 名古屋城はもともと誰のために築かれたお城でしょうか?
- 豊臣秀吉のため
- 徳川義直(家康の九男)のため
- 徳川慶勝(尾張藩最後の藩主)のため
答え:2. 徳川義直(家康の九男)のため
解説: 江戸幕府初代将軍・徳川家康が九男・徳川義直を尾張藩主に据えるにあたり、清須から拠点を移す目的で築かれました。
解説: 江戸幕府初代将軍・徳川家康が九男・徳川義直を尾張藩主に据えるにあたり、清須から拠点を移す目的で築かれました。
3. 名古屋城の最後の城主(最後の尾張藩主)は誰でしょうか?
- 徳川光圀
- 徳川慶勝
- 徳川綱誠
答え:2. 徳川慶勝
解説: 徳川慶勝(よしかつ)は尾張徳川家17代藩主であり、名古屋城の最後の城主でもあります。明治維新後は城が廃され、慶勝をもって城主は終わりました。
解説: 徳川慶勝(よしかつ)は尾張徳川家17代藩主であり、名古屋城の最後の城主でもあります。明治維新後は城が廃され、慶勝をもって城主は終わりました。
4. 名古屋城をすべてじっくり見学するのに一般的にどれくらいの時間がかかるでしょうか?
- 15分程度
- 1~1時間30分ほど
- 丸一日かかる
答え:2. 1~1時間30分ほど
解説: 本丸御殿や史跡、全体をじっくり回るには1時間から1時間半ほどの見学時間が目安とされています。混雑状況などによって多少前後します。
解説: 本丸御殿や史跡、全体をじっくり回るには1時間から1時間半ほどの見学時間が目安とされています。混雑状況などによって多少前後します。
5. 名古屋城の建造を最初に命じたのは誰でしょうか?
- 豊臣秀吉
- 織田信長
- 徳川家康
答え:3. 徳川家康
解説: 家康が、九男である徳川義直のために、清須から拠点を移す目的で着手したのが名古屋城です。1610年(慶長15年)からの天下普請で完成させました。
解説: 家康が、九男である徳川義直のために、清須から拠点を移す目的で着手したのが名古屋城です。1610年(慶長15年)からの天下普請で完成させました。
6. 名古屋城天守閣が大きく焼失した原因は何でしょうか?
- 落雷
- 1945年の名古屋大空襲
- 大地震による倒壊
答え:2. 1945年の名古屋大空襲
解説: 昭和20年(1945年)5月14日の空襲により、本丸御殿とともに天守閣が焼失。戦前まで現存していた貴重な天守が失われました。
解説: 昭和20年(1945年)5月14日の空襲により、本丸御殿とともに天守閣が焼失。戦前まで現存していた貴重な天守が失われました。
7. 名古屋城を大きく特徴付けるシンボルは何でしょうか?
- 金の鯱(しゃちほこ)
- 石落としの装飾
- 朱塗りの大天守
答え:1. 金の鯱(しゃちほこ)
解説: 屋根の上で光り輝く金の鯱(きんのしゃちほこ)は、名古屋城の代名詞です。徳川家の威厳を示す存在として設置されました。
解説: 屋根の上で光り輝く金の鯱(きんのしゃちほこ)は、名古屋城の代名詞です。徳川家の威厳を示す存在として設置されました。
8. 名古屋城がある場所は、地形的にどう表現されるでしょうか?
- 完全な山城
- 平城(ひらじろ)または平山城の性格を併せ持つ
- 海上に浮かぶ水城
答え:2. 平城(ひらじろ)または平山城の性格を併せ持つ
解説: 台地の端に築かれたため、一見平城ですが、西北端は崖地形で平山城的な面もあり「平山城か平城か」に分類が難しい城郭となっています。
解説: 台地の端に築かれたため、一見平城ですが、西北端は崖地形で平山城的な面もあり「平山城か平城か」に分類が難しい城郭となっています。
9. 大天守と小天守をつなぐ独特な形を何と呼ぶでしょうか?
- 連立式天守
- 望楼式天守
- 複合式層塔天守
答え:1. 連立式天守
解説: 名古屋城の天守は、大天守と小天守が橋台で接続する連立式です。日本の城でよくみられる形態ですが、名古屋城のスケールは特に大きいと言われています。
解説: 名古屋城の天守は、大天守と小天守が橋台で接続する連立式です。日本の城でよくみられる形態ですが、名古屋城のスケールは特に大きいと言われています。
10. 史上最大級の本丸御殿として評価されている名古屋城の本丸御殿は、戦後どうなったでしょうか?
- 空襲を逃れて現存している
- 戦後も一時用いられたが地震で倒壊した
- 1945年の空襲で焼失し、現在は木造復元されている
答え:3. 1945年の空襲で焼失し、現在は木造復元されている
解説: 国宝だった本丸御殿は大空襲で焼失。近年、伝統技法と史料をもとに木造で復元され、2018年6月に全面公開されました。
解説: 国宝だった本丸御殿は大空襲で焼失。近年、伝統技法と史料をもとに木造で復元され、2018年6月に全面公開されました。
11. 現在の名古屋城天守閣は、どのような構造で再建されたでしょうか?
- 本来の木造建築
- 鉄骨鉄筋コンクリート造
- 鉄骨造ガラス張り
答え:2. 鉄骨鉄筋コンクリート造
解説: 1959年に復興された現天守閣は、鉄骨鉄筋コンクリートで外観を復元したもの。木造再建の計画が検討されていますが、具体化には至っていません。
解説: 1959年に復興された現天守閣は、鉄骨鉄筋コンクリートで外観を復元したもの。木造再建の計画が検討されていますが、具体化には至っていません。
12. 名古屋城の大天守は、江戸時代から大正~昭和初期にかけて何と呼ばれていましたか?
- 金城大天守
- 御天守(ごてんしゅ)
- しゃちほこ楼閣
答え:2. 御天守(ごてんしゅ)
解説: 尾張藩では「大天守」とは呼ばず、「御天守」という敬称が用いられました。古文書などにもこの表記がみられます。
解説: 尾張藩では「大天守」とは呼ばず、「御天守」という敬称が用いられました。古文書などにもこの表記がみられます。
13. 本丸御殿の観光見学にかかる時間の目安としては、どれくらいでしょうか?
- 10分程度
- 30分~40分程度
- 2時間以上
答え:2. 30分~40分程度
解説: 豪華絢爛な障壁画や部屋をじっくり見学する場合、本丸御殿だけでも30分以上はかかります。天守周辺も合わせると1時間~1時間半ほど見積もりましょう。
解説: 豪華絢爛な障壁画や部屋をじっくり見学する場合、本丸御殿だけでも30分以上はかかります。天守周辺も合わせると1時間~1時間半ほど見積もりましょう。
14. 名古屋城が「金鯱(きんしゃち)城」とも呼ばれる由来は何でしょうか?
- 天守の石垣に金箔が使われているから
- 大天守上に一対の金の鯱が飾られているから
- 城内で金の鯱の化石が発見されたから
答え:2. 大天守上に一対の金の鯱が飾られているから
解説: 名古屋城の象徴でもある雄雌一対の金鯱が屋根の上に輝くことから「金鯱城(きんこじょう)」や「金城(きんじょう)」と呼ばれました。
解説: 名古屋城の象徴でもある雄雌一対の金鯱が屋根の上に輝くことから「金鯱城(きんこじょう)」や「金城(きんじょう)」と呼ばれました。
15. 名古屋城の縄張りに関わった大名として特に石垣工事で重要視されているのは誰でしょうか?
- 黒田孝高(くろだ よしたか)
- 加藤清正(かとう きよまさ)
- 前田利家(まえだ としいえ)
答え:2. 加藤清正(かとう きよまさ)
解説: 天守台の石垣築造を自ら望んで担当したとされ、石垣への刻印も多く見られます。熊本城築城の経験を活かしたといわれています。
解説: 天守台の石垣築造を自ら望んで担当したとされ、石垣への刻印も多く見られます。熊本城築城の経験を活かしたといわれています。
16. 徳川家康が清須から尾張藩の中心を名古屋に移した際の移住を何と呼ぶでしょうか?
- 清須越し
- 清須捨て
- 清須転封
答え:1. 清須越し
解説: 大規模に城下を移転する計画で、家臣や町人、寺社などが清須から名古屋へ移住し、新たな城下町を形成しました。
解説: 大規模に城下を移転する計画で、家臣や町人、寺社などが清須から名古屋へ移住し、新たな城下町を形成しました。
17. 名古屋城には二の丸庭園が現在も残っていますが、その特徴として正しいものはどれでしょうか?
- 武家風書院造を取り入れた枯山水庭園
- 回遊式庭園で、茶室が配置されている
- 皇室の離宮庭園として近代的な洋風庭園
答え:2. 回遊式庭園で、茶室が配置されている
解説: 二の丸庭園は回遊式庭園の形式を持ち、大名庭園らしい池や島、茶室を備えています。現存部分も昭和期に再整備され、風情ある景観を楽しめます。
解説: 二の丸庭園は回遊式庭園の形式を持ち、大名庭園らしい池や島、茶室を備えています。現存部分も昭和期に再整備され、風情ある景観を楽しめます。
18. 名古屋城の三之丸は何の目的で造られたか?
- 将軍の居住地
- 城下町の都市機能を取り込み、防衛線を拡張するため
- 果樹園として利用するため
答え:2. 城下町の都市機能を取り込み、防衛線を拡張するため
解説: 本丸や二之丸を取り囲む形で城郭を広げ、市街地を含めた防御を強化する意図がありました。
解説: 本丸や二之丸を取り囲む形で城郭を広げ、市街地を含めた防御を強化する意図がありました。
19. 名古屋城の外郭部分をさらに拡張し、一帯を囲い込む予定だった計画を何と呼ぶでしょうか?
- 総構え(そうがまえ)
- 大築堤計画
- 三之丸周回路
答え:1. 総構え(そうがまえ)
解説: 大坂の陣以前に構想されていたもので、広範囲を丸ごと囲う構えを作る計画でしたが、大坂夏の陣の後に中断となりました。
解説: 大坂の陣以前に構想されていたもので、広範囲を丸ごと囲う構えを作る計画でしたが、大坂夏の陣の後に中断となりました。
20. 金鯱(しゃちほこ)のオス・メスはそれぞれどこに設置されているでしょうか?
- 天守の南がオス、北がメス
- 天守の北がオス、南がメス
- 双方とも同じ向きに設置
答え:2. 天守の北がオス、南がメス
解説: 屋根の上から見て北側が雄鯱(お)、南側が雌鯱(め)とされています。雄はわずかに大きく造られています。
解説: 屋根の上から見て北側が雄鯱(お)、南側が雌鯱(め)とされています。雄はわずかに大きく造られています。
21. 名古屋城の堀にいる動物で有名なのは何でしょうか?
- 鹿(シカ)
- 鹿(シカ)と猿(サル)の群れ
- 白鳥とペンギン
答え:1. 鹿(シカ)
解説: 本丸周辺の空堀には鹿が飼育されており、観光客にもよく知られた光景となっています。
解説: 本丸周辺の空堀には鹿が飼育されており、観光客にもよく知られた光景となっています。
22. 名古屋城天守の高さは石垣を含めておよそ何メートルでしょうか?(戦前の木造当時)
- 約30m
- 約56m
- 約100m
答え:2. 約56m
解説: 大天守(建物約36m)+天守台(約20m)でおよそ56mほどでした。戦国期から江戸初期にかけての天守の中では屈指の高さを誇ります。
解説: 大天守(建物約36m)+天守台(約20m)でおよそ56mほどでした。戦国期から江戸初期にかけての天守の中では屈指の高さを誇ります。
23. 戦後の名古屋城天守再建の総工費はどのようにまかなわれたでしょうか?
- 市民や企業の寄付と市の予算
- 国からの全額負担
- 世界遺産の補助金
答え:1. 市民や企業の寄付と市の予算
解説: 1959年に再建された際、市民による募金や企業の協力、名古屋市予算などが合わさって復元工事を支えました。
解説: 1959年に再建された際、市民による募金や企業の協力、名古屋市予算などが合わさって復元工事を支えました。
24. 再建された(現在の)天守閣の内部はどんな利用をされてきたでしょうか?
- 現在でも武士が駐屯する拠点
- 観光客向けに資料展示やイベントスペース
- 完全に立ち入り禁止で倉庫のみ利用
答え:2. 観光客向けに資料展示やイベントスペース
解説: 再建天守は観光用の展示施設を兼ねており、尾張徳川家に関する資料などが展示されていましたが、2023年現在、耐震上の理由で天守への立ち入りはできません。
解説: 再建天守は観光用の展示施設を兼ねており、尾張徳川家に関する資料などが展示されていましたが、2023年現在、耐震上の理由で天守への立ち入りはできません。
25. 名古屋城の大天守と小天守を繋ぐ部分は何と呼ばれるでしょうか?
- 馬出(うまだし)
- 橋台(はしだい)
- 箱櫓(はこやぐら)
答え:2. 橋台(はしだい)
解説: 大天守と小天守は橋台という構造物で接続されています。ここを通って相互に行き来できる設計でした。
解説: 大天守と小天守は橋台という構造物で接続されています。ここを通って相互に行き来できる設計でした。
26. 「名古屋城は城郭内を囲む巨大な総構えを計画していたが中止された」とありますが、その大きな理由は何でしょうか?
- 豊臣方との大坂の陣が終わり防御の必要が低減した
- 岡崎城に築城資金を回すため
- 工事中に地震が頻発したため
答え:1. 豊臣方との大坂の陣が終わり防御の必要が低減した
解説: 大坂夏の陣の終了で豊臣家が滅亡し、大規模な外郭(総構え)を作る必要がなくなったため、工事は途中で打ち切られました。
解説: 大坂夏の陣の終了で豊臣家が滅亡し、大規模な外郭(総構え)を作る必要がなくなったため、工事は途中で打ち切られました。
27. 江戸時代を通じて、名古屋城はどの藩の拠点だったでしょうか?
- 加賀藩
- 尾張藩
- 紀州藩
答え:2. 尾張藩
解説: 尾張徳川家が治める尾張藩の居城として、17代にわたり支配の中心地となりました。
解説: 尾張徳川家が治める尾張藩の居城として、17代にわたり支配の中心地となりました。
まとめ
これらのクイズを通じて、名古屋城の歴史や見どころ・現在の天守閣事情などをより深く理解していただければ幸いです。
再建された本丸御殿の豪華さや、耐震工事の課題を抱える天守閣の状況など、現代ならではの視点も含めて、ぜひ名古屋城を楽しんでみてください。