江戸城にまつわる3択クイズ26問

皇居 クイズ

「江戸城」に関するクイズを3択形式で26問ご用意しました。

各問の後に「答え」と「解説」を付けています。ぜひお楽しみください。

1. 江戸城を築いたのは誰でしょうか?

  1. 徳川家康
  2. 太田道灌
  3. 伊達政宗
答え:2. 太田道灌
解説:
1457年(康正2年)、扇谷上杉家の重臣であった太田道灌が、古い「江戸館」跡に築城したのが江戸城の始まりです。

2. 江戸城は江戸時代、何の政庁および誰の居城だったでしょうか?

  1. 江戸幕府の政庁、徳川将軍家
  2. 薩摩藩の政庁、島津家
  3. 長州藩の政庁、毛利家
答え:1. 江戸幕府の政庁、徳川将軍家
解説:
江戸城は江戸幕府が約260年続いた間、将軍が住み、幕府の政治を行う中心地でした。

3. 江戸城は日本の城の中で、特にどのような点が最大規模だったでしょうか?

  1. 天守の高さ
  2. 築城費用
  3. 城郭全体の面積
答え:3. 城郭全体の面積
解説:
徳川家康から秀忠・家光にかけて大改修が行われ、総構(外郭)の周囲が約14kmにも達する日本最大級の城郭となりました。

4. 江戸城の築城を大規模に拡張したのは、家康以降どの将軍の代にかけてでしょうか?

  1. 二代将軍・秀忠から三代将軍・家光
  2. 五代将軍・綱吉から六代将軍・家宣
  3. 十一代将軍・家斉から十二代将軍・家慶
答え:1. 二代将軍・秀忠から三代将軍・家光
解説:
大名を集めての「天下普請」により、およそ30年をかけて大規模な城郭に完成しました。

5. 江戸城内には最盛期、どのくらいの人数が常駐していたと推算されるでしょうか?

  1. 1000人ほど
  2. 3000人ほど
  3. 6000人ほど
答え:3. 6000人ほど
解説:
老中や若年寄などの「役方」、警備・警護を担当する「番方」、大奥の婦女子を含めると、日中には約6000人が城内に詰めていたと推算されます。

6. 江戸城天守は、明暦の大火(1657年)で焼失して以降どうなったでしょうか?

  1. すぐに再建され、さらに高い天守を造った
  2. 二度と再建されなかった
  3. 何度も建て替えを繰り返した
答え:2. 二度と再建されなかった
解説:
明暦の大火後、財政難や実用性の面から天守は再建されず、江戸城には天守台だけが残ることになりました。

7. 明暦の大火以前の江戸城天守は三代将軍・徳川家光の代に建てられましたが、その高さはおよそ何mとされているでしょうか?

  1. 約40m
  2. 約58m
  3. 約70m
答え:2. 約58m
解説:
家光によって寛永期(1638年頃)に建てられた天守は、当時日本一の高さを誇る約58mだったと言われます。

8. 江戸城の外郭は全長約14kmにも及びましたが、同心円状に内郭を取り囲むこの構造を何というでしょうか?

  1. 総石垣
  2. 総構(そうがまえ)
  3. 二重櫓
答え:2. 総構(そうがまえ)
解説:
江戸城は外郭が総構で構成されており、多数の見附(城門)を配して都心部全体を守る仕組みでした。

9. 江戸城外郭に設けられた見附(みつけ)は数多くありましたが、その総数はどのくらいあったと書かれていますか?

  1. 50棟ほど
  2. 100棟ほど
  3. 123棟
答え:3. 123棟
解説:
江戸時代の江戸城には警護・監視のため123棟もの見附が設置され、堅固な防備を築いていました。

10. 外郭における見附の名残として地名に残る場所がいくつかありますが、有名な例として挙げられるのは次のうちどれでしょうか?

  1. 千駄木
  2. 赤坂見附
  3. 新橋
答え:2. 赤坂見附
解説:
赤坂見附には、かつて赤坂門があり、現在も石垣の一部が見られます。地名として見附が残る代表例です。

11. 江戸城内にある桝形門(ますがたもん)として重要文化財に指定されている門は、次のうちどれでしょうか?

  1. 駿河門、半蔵門、蓮池門
  2. 田安門、清水門、外桜田門
  3. 大手門、赤坂門、虎ノ門
答え:2. 田安門、清水門、外桜田門
解説:
これらの門は徳川幕府当時からの姿を残し、桝形門として貴重な建造物であり、現在は重要文化財に指定されています。

12. 江戸城の桜田門外では、1860年(安政7年)にある幕府重臣が暗殺される事件が起きました。この事件を何と呼ぶでしょうか?

  1. 桜田門外の変
  2. 坂下門外の変
  3. 大手門事件
答え:1. 桜田門外の変
解説:
大老・井伊直弼が、水戸浪士と薩摩藩士により暗殺された事件です。幕末の大きな転機の一つでした。

13. 1868年(慶応4年)に成立した明治政府軍が江戸城へ攻め込もうとしましたが、勝海舟と西郷隆盛の会談によって総攻撃が回避されました。これを何と呼ぶでしょうか?

  1. 江戸城血戦
  2. 江戸城 無血開城
  3. 江戸城談判
答え:2. 江戸城 無血開城
解説:
江戸市民の被害を避けるため、旧幕府軍の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛が交渉し、江戸城は戦わずして開城されました。

14. 明治維新後、江戸城は明治政府に明け渡され、あるタイミングで何と改称された時期があったでしょうか?

  1. 新城
  2. 東京城
  3. 皇都城
答え:2. 東京城
解説:
短期間ながら「東京城」と呼ばれたことがあり、その後「皇城(こうじょう)」や「宮城(きゅうじょう)」とも呼ばれ、最終的には皇居となりました。

15. 江戸城天守跡の天守台は、現在どのエリアで見学できるでしょうか?

  1. 皇居外苑
  2. 皇居東御苑
  3. 北の丸公園
答え:2. 皇居東御苑
解説:
明暦の大火で消失した天守の台座が皇居東御苑に残り、来園者が自由に登ることもできます。

16. 江戸城の富士見櫓は、明暦の大火後に再建され、天守の代わりに江戸城を象徴する建物となりました。この櫓は何重櫓でしょうか?

  1. 一重櫓
  2. 二重櫓
  3. 三重櫓
答え:3. 三重櫓
解説:
富士見櫓は3階建ての櫓で、江戸城内に現存する三重櫓として有名です。将軍が富士山や海を望んだと伝えられます。

17. 皇居外苑にあり、堀に架かる鉄橋で正式には「正門鉄橋」と呼ばれるが、通称として広く知られている名前はどれでしょうか?

  1. 三重橋
  2. 二重橋
  3. 富士見橋
答え:2. 二重橋
解説:
正門前にある二重橋は、奥に見える伏見櫓と合わせた風景が有名で、皇居を代表する撮影スポットとなっています。

18. 江戸城の外苑エリアから見られる櫓として、二重橋越しに遠方に姿を見せるものは何櫓でしょうか?

  1. 富士見櫓
  2. 伏見櫓
  3. 大手櫓
答え:2. 伏見櫓
解説:
皇居外苑から二重橋を見上げると、その奥に伏見櫓が見えます。この櫓も明暦の大火後に再建され、城の主要な防備の一角でした。

19. 江戸城の石垣は、複数の産地から集めた石材を使用し、見た目にもカラフルなモザイク模様となっています。この理由は何でしょうか?

  1. 同じ場所で採れる石が色とりどりだった
  2. 日本各地の大名に石材を納めさせたため
  3. 天皇の下賜による宝石を混ぜたため
答え:2. 日本各地の大名に石材を納めさせたため
解説:
天下普請で造られたため、伊豆・小豆島など色の違う石が集まり、結果として多彩な石垣になりました。

20. 江戸城内の「桜田門」は、1860年に大老・井伊直弼が暗殺された場所としても知られていますが、正式名称は何という門でしょうか?

  1. 内桜田門
  2. 外桜田門
  3. 桜田御門
答え:2. 外桜田門
解説:
通称は桜田門ですが、正式には外桜田門と呼ばれ、桝形門として今も残っている重要文化財です。

21. 江戸城外を囲む外濠には、自然河川だけでなく人工の堀も組み合わせて全体を防備していましたが、この外濠の総延長はおよそどれくらいだったと書かれていますか?

  1. 10km
  2. 14km
  3. 18km
答え:2. 14km
解説:
外郭周囲が約14kmにおよび、東京駅周辺や両国橋、虎ノ門駅など広範囲を含んでいます。

22. 江戸城は太田道灌によって築かれ、のちに北条氏の支城となりますが、北条氏が滅ぼされた後、1590年にこの城に入ったのは誰でしょうか?

  1. 上杉景勝
  2. 徳川家康
  3. 豊臣秀次
答え:2. 徳川家康
解説:
小田原征伐で北条氏が滅んだあと、関東に移封された徳川家康が江戸城を本拠とし、後の江戸幕府開府につながります。

23. 徳川家康が没した後も、江戸城の大規模改修は続きましたが、その中心的人物として築城の名手と言われた大名は誰でしょうか?

  1. 伊達政宗
  2. 藤堂高虎
  3. 加藤清正
答え:2. 藤堂高虎
解説:
家康の信頼が厚かった藤堂高虎は、江戸城の設計・工事で大きな役割を担い、慶長から寛永にかけての改修を指導しました。

24. 江戸城内で起きた大きな火災で、江戸の街に壊滅的な被害を与えた1657年の災害を何と呼ぶでしょうか?

  1. 明治の大火
  2. 明暦の大火
  3. 文久の大火
答え:2. 明暦の大火
解説:
明暦3年(1657年)に江戸を襲った大規模火災で、城下町はもちろん天守も消失し、江戸城天守は再建されませんでした。

25. 江戸城の本丸や二の丸、三の丸の跡地は、現在どのように一般公開されているでしょうか?

  1. 一切公開されない
  2. 皇居東御苑として公開されている
  3. 完全に皇居敷地外となり、私企業が所有
答え:2. 皇居東御苑として公開されている
解説:
本丸・二の丸・三の丸付近は皇居東御苑として、宮内庁管理のもと一般に無料公開(休園日を除く)されています。

26. 江戸城をランニングコースとして利用する文化が定着していますが、これを一般に何と呼ぶでしょうか?

  1. 江戸城ジョグ
  2. 城下町マラソン
  3. 皇居ランニング
答え:3. 皇居ランニング
解説:
皇居外周を1周約5kmの周回コースとして走る「皇居ランニング」が大変人気を博しており、今や東京の象徴的なランニングスポットとなっています。

まとめ

江戸城は、徳川幕府の政庁や将軍の住まいとして機能し、明治維新後は皇居へと姿を変えました。

今なお多くの城門や石垣が残り、皇居周辺は国内外から観光客を集める名所になっています。

皇居東御苑や外苑をめぐる際は、江戸城の壮大な面影をぜひ体感してみてください。

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