松江城にまつわる3択クイズ29問

松江城 クイズ

「松江城」に関する3択クイズを29問ご用意しました。

各問の後に「答え」と「解説」を付けています。ぜひお楽しみください。

  1. 1. 「松江城」の読み方は、次のうちどれでしょうか?
  2. 2. 松江城を最初に築城したとされる戦国大名(豊臣政権の重臣)は誰でしょうか?
  3. 3. 松江城の見学にかかるおおよその時間はどれくらいと言われているでしょうか?
  4. 4. 松江城の別名として、全国的に知られている呼び名はどれでしょうか?
  5. 5. 松江城の外観が黒く見える大きな理由は何でしょうか?
  6. 6. 松江城が国宝に“再指定”される大きなきっかけとなった発見は何でしょうか?
  7. 7. 松江城の石垣に隠れているハート形の石は、どこで見ることができるでしょうか?
  8. 8. 松江城の天守最上階(望楼)から一望できる景色として有名なものは何でしょうか?
  9. 9. 松江城を近世城郭として築いた堀尾吉晴の子(関ヶ原で功を立てた人物)は誰でしょうか?
  10. 10. 松江城の縄張(城の構造設計)を行ったと伝わる人物は次のうち誰でしょうか?
  11. 11. 堀尾家の後を継ぎ、松江城に入城して三の丸を造営し、現在の城の全容をほぼ完成させた人物は誰でしょうか?
  12. 12. 現在の松江城天守は地階を含めて何重何階とされるでしょうか?(国宝登録上の形式を基準)
  13. 13. 松江城天守は、最上階が物見櫓となる「望楼型」の造りです。これを特に何と呼ぶでしょうか?
  14. 14. 松江城の天守が明治時代の廃城令による解体を免れた大きな理由は何でしょうか?
  15. 15. 「現存12天守」のうち、国宝に指定されているお城は5城だけです。松江城はその中の一つですが、次のうち国宝天守に該当しない城はどれでしょうか?
  16. 16. 明治から昭和にかけて、松江城の天守は一度“国宝”になった後、別の区分に変更され、再び国宝に指定されたという珍しい経緯があります。再指定がなされたのは何年でしょうか?
  17. 17. 松江城は、どの藩の政庁として江戸時代の政治経済の中心を担っていたでしょうか?
  18. 18. 松江城を最終的に約230年支配し、最後の藩主・定安(さだやす)に至るまで続いた一族は誰でしょうか?
  19. 19. 松江城の天守に現存する珍しい設備として、次のうち正しいものはどれでしょうか?
  20. 20. 松江城の天守に取り付けられている木造の鯱鉾(しゃちほこ)は、現存するなかでも特にどのような特徴があるでしょうか?
  21. 21. 松江城の階段が非常に急で狭い理由として最も適切な説明はどれでしょうか?
  22. 22. 松江城の天守を支える柱は、「心柱」が1本貫いているのではなく、複数の“通し柱”が組み合わさっています。その数はおよそ何本と言われているでしょうか?
  23. 23. 松江城天守の総床面積は、現存12天守の中でどのような規模でしょうか?
  24. 24. 松江城がある標高約29mの山は何と呼ばれているでしょうか?
  25. 25. 松江城天守の構造が“質実剛健”と言われる理由の一つとして、最も関係の深い説明はどれでしょうか?
  26. 26. 松江城の木造鯱鉾は「雄」と「雌」の2体がいますが、そのうち雄の高さはどれくらいでしょうか?
  27. 27. 江戸時代初頭、「京極忠高」が松江城主となったのは何がきっかけでしょうか?
  28. 28. 松江城の城山公園内では、夜間に城がライトアップされます。おおむねどの時間帯まで照らされているでしょうか?
  29. 29. 松江城の築城当初の天守の形状は、現在と異なっていた可能性があります。その理由として挙げられるのはどれでしょうか?
  30. まとめ

1. 「松江城」の読み方は、次のうちどれでしょうか?

  1. まつえじょう
  2. しょうこうじょう
  3. まつさきじょう
答え:1. まつえじょう
解説:
島根県松江市にある「松江城」の正しい読み方は「まつえじょう」です。江戸時代初期に築かれた天守や城跡が残っており、国の史跡にも指定されています。

2. 松江城を最初に築城したとされる戦国大名(豊臣政権の重臣)は誰でしょうか?

  1. 堀尾吉晴(ほりお よしはる)
  2. 毛利元就(もうり もとなり)
  3. 織田信長(おだ のぶなが)
答え:1. 堀尾吉晴
解説:
豊臣秀吉の家臣として活躍した堀尾吉晴は、出雲国・隠岐国あわせて24万石を拝領し、1607年頃から「亀田山」に新城の築城を開始。これが松江城の基礎となりました。

3. 松江城の見学にかかるおおよその時間はどれくらいと言われているでしょうか?

  1. 30分程度
  2. 1時間程度
  3. 半日以上
答え:2. 1時間程度
解説:
大手門跡から本丸や天守をゆっくり見学して、おおよそ1時間ほどが目安とされています。城内は階段が急なので、余裕をもって観光するとよいでしょう。

4. 松江城の別名として、全国的に知られている呼び名はどれでしょうか?

  1. 烏城(うじょう)
  2. 千鳥城(ちどりじょう)
  3. 白鷺城(しらさぎじょう)
答え:2. 千鳥城
解説:
松江城は、その華やかな破風(はふ)や屋根の形が、羽を広げた千鳥が群れ飛ぶように見えることから「千鳥城」とも呼ばれています。

5. 松江城の外観が黒く見える大きな理由は何でしょうか?

  1. 雨覆板(あまおおいばん)に黒い染料を用いているから
  2. 塩分の多い石を混ぜているから
  3. 単に漆喰が黒ずんでいるだけだから
答え:1. 雨覆板に黒い染料を用いているから
解説:
姫路城のように白漆喰で塗りこめられてはいない部分が多く、黒い板を貼り付けているのが松江城の大きな特徴です。染料には柿渋や漆、すすなどが混ぜられ、防湿性も高めています。

6. 松江城が国宝に“再指定”される大きなきっかけとなった発見は何でしょうか?

  1. 江戸時代の絵図面が大量に出てきた
  2. 「慶長十六年」と記された祈祷札が見つかった
  3. 秘蔵されていた松平家の金印が発見された
答え:2. 「慶長十六年」と記された祈祷札が見つかった
解説:
2012年に「慶長十六年正月吉祥日」と書かれた祈祷札が見つかり、天守が1611年頃には完成していたことが明確に判明。これが国宝再指定の決め手となりました。

7. 松江城の石垣に隠れているハート形の石は、どこで見ることができるでしょうか?

  1. 天守の最上階
  2. 大手木戸門跡から天守へ向かう階段
  3. 城内の井戸の中
答え:2. 大手木戸門跡から天守へ向かう階段
解説:
大手門跡から登る階段の左手石垣に、一つだけハート形に見える石があります。縁結びのご利益があるとされ、人気のフォトスポットです。

8. 松江城の天守最上階(望楼)から一望できる景色として有名なものは何でしょうか?

  1. 琵琶湖
  2. 宍道湖(しんじこ)
  3. 猪苗代湖(いなわしろこ)
答え:2. 宍道湖
解説:
高さ約30mの天守最上階からは、宍道湖や松江市街、遠くは山並みまで見渡せます。夕景や夜景も美しく、松江のシンボルビューとして親しまれています。

9. 松江城を近世城郭として築いた堀尾吉晴の子(関ヶ原で功を立てた人物)は誰でしょうか?

  1. 堀尾忠氏(ほりお ただうじ)
  2. 堀尾豊久(ほりお とよひさ)
  3. 堀尾義隆(ほりお よしたか)
答え:1. 堀尾忠氏
解説:
関ヶ原の戦い(1600年)で功績を立て、出雲・隠岐あわせて24万石に加増されました。父の吉晴とともに、月山富田城から亀田山へ拠点を移し、松江城を築く計画を進めます。

10. 松江城の縄張(城の構造設計)を行ったと伝わる人物は次のうち誰でしょうか?

  1. 小瀬甫庵(おぜ ほあん)
  2. 黒田官兵衛(くろだ かんべえ)
  3. 竹中半兵衛(たけなか はんべえ)
答え:1. 小瀬甫庵
解説:
堀尾吉晴の主治医・軍学者としても知られる小瀬甫庵が、亀田山での城造り(縄張)を手がけたといわれています。「信長記」や「太閤記」の作者としても有名です。

11. 堀尾家の後を継ぎ、松江城に入城して三の丸を造営し、現在の城の全容をほぼ完成させた人物は誰でしょうか?

  1. 京極忠高(きょうごく ただたか)
  2. 京極高次(きょうごく たかつぐ)
  3. 京極竜子(きょうごく たつこ)
答え:1. 京極忠高
解説:
堀尾家が無嗣改易(跡継ぎ不在で取りつぶし)になった後、松江城に入ったのが京極忠高です。三の丸を造営し、松江城の基本構造を整えましたが、在城わずか3年で急逝しました。

12. 現在の松江城天守は地階を含めて何重何階とされるでしょうか?(国宝登録上の形式を基準)

  1. 5重6階
  2. 4重5階
  3. 3重4階
答え:2. 4重5階
解説:
実際には5重5階+地階1階の造りともいわれますが、国宝登録上は「4重5階構造の望楼型天守」という扱いになっています。

13. 松江城天守は、最上階が物見櫓となる「望楼型」の造りです。これを特に何と呼ぶでしょうか?

  1. 前期望楼型
  2. 中期望楼型
  3. 後期望楼型
答え:3. 後期望楼型
解説:
松江城天守は、入母屋造の大屋根の上に小さな望楼を載せた「後期望楼型」です。上からの見晴らしを重視しながら、堅固な構造を保っています。

14. 松江城の天守が明治時代の廃城令による解体を免れた大きな理由は何でしょうか?

  1. もともと皇室所有で解体対象から外れた
  2. 地元有志が競売で買い戻した
  3. 城にまつわる恐ろしい呪いが信じられていた
答え:2. 地元有志が競売で買い戻した
解説:
松江城は1873年(明治6年)の廃城令で取り壊される予定でしたが、旧松江藩士や地元の豪農が私財を投じて買い戻し、天守のみが残されました。

15. 「現存12天守」のうち、国宝に指定されているお城は5城だけです。松江城はその中の一つですが、次のうち国宝天守に該当しない城はどれでしょうか?

  1. 彦根城
  2. 犬山城
  3. 高知城
答え:3. 高知城
解説:
国宝天守は松江城・姫路城・彦根城・犬山城・松本城の5城です。高知城や丸亀城なども現存天守を有しますが、国宝ではなく重要文化財となっています。

16. 明治から昭和にかけて、松江城の天守は一度“国宝”になった後、別の区分に変更され、再び国宝に指定されたという珍しい経緯があります。再指定がなされたのは何年でしょうか?

  1. 1950年(昭和25年)
  2. 1970年(昭和45年)
  3. 2015年(平成27年)
答え:3. 2015年(平成27年)
解説:
1935年に旧国宝、1950年以降は重要文化財に移行しましたが、2015年に「築城年代特定の新資料」などの発見が決め手となり、改めて国宝に指定されました。

17. 松江城は、どの藩の政庁として江戸時代の政治経済の中心を担っていたでしょうか?

  1. 松江藩
  2. 出雲藩
  3. 米子藩
答え:1. 松江藩
解説:
江戸時代には松江藩の藩庁がおかれ、出雲地方を治める拠点として機能しました。最終的には松平家が10代にわたって約230年統治しています。

18. 松江城を最終的に約230年支配し、最後の藩主・定安(さだやす)に至るまで続いた一族は誰でしょうか?

  1. 堀尾家
  2. 京極家
  3. 松平家
答え:3. 松平家
解説:
京極家の後を受けて、徳川家康の孫・松平直政が松江城に入封。その後も松平家が代々城主を務め、明治の廃藩置県まで松江を治めました。

19. 松江城の天守に現存する珍しい設備として、次のうち正しいものはどれでしょうか?

  1. 天守内に宿泊用の客室がある
  2. 天守内部に井戸がある
  3. 天守外壁に大時計が取り付けられている
答え:2. 天守内部に井戸がある
解説:
敵に籠城された場合の水源確保のため、松江城天守の地階(地下)には井戸が設けられました。現存する城郭で天守内に井戸が残っているのは極めて珍しい例です。

20. 松江城の天守に取り付けられている木造の鯱鉾(しゃちほこ)は、現存するなかでも特にどのような特徴があるでしょうか?

  1. 木造鯱の中では日本一の大きさ
  2. 金箔が全面に貼られている
  3. 鯱鉾の体内に小部屋がある
答え:1. 木造鯱の中では日本一の大きさ
解説:
松江城天守の木造鯱鉾は、雄が約2.08m、雌がそれよりやや小さいながらも、木造としては日本最大級のサイズを誇ります。

21. 松江城の階段が非常に急で狭い理由として最も適切な説明はどれでしょうか?

  1. 築城費用をできるだけ安くするため
  2. 観光客の注意喚起を促すため
  3. 敵に攻められた際、取り外して防御できるようにするため
答え:3. 敵に攻められた際、取り外して防御できるようにするため
解説:
松江城の階段は桐(きり)材で作られていて軽量です。攻撃を受けたら外してしまえるよう、あえて急で狭く造られています。

22. 松江城の天守を支える柱は、「心柱」が1本貫いているのではなく、複数の“通し柱”が組み合わさっています。その数はおよそ何本と言われているでしょうか?

  1. 約20本
  2. 約50本
  3. 約96本
答え:3. 約96本
解説:
心柱を立てる代わりに、二階分ずつの通し柱を多数配置して建物の荷重を分散させています。築城時の材料不足を補う工夫でもあり、耐震性にも優れた手法です。

23. 松江城天守の総床面積は、現存12天守の中でどのような規模でしょうか?

  1. 最も広い
  2. 2番目に広い
  3. 12城の中で最も狭い
答え:2. 2番目に広い
解説:
総床面積1位は姫路城ですが、松江城は5重5階(地階含む)を有し、広さは現存天守として2番目となります。

24. 松江城がある標高約29mの山は何と呼ばれているでしょうか?

  1. 亀田山(かめだやま)
  2. 鷺山(さぎやま)
  3. 亀山(かめやま)
答え:1. 亀田山
解説:
松江市中心部の亀田山に築かれたため、「亀田山城」と呼ばれることもあります。もとは月山富田城を拠点としていた堀尾家が、宍道湖畔に近いこの場所へ本拠を移しました。

25. 松江城天守の構造が“質実剛健”と言われる理由の一つとして、最も関係の深い説明はどれでしょうか?

  1. すべての階に金箔装飾がある
  2. 床面積のわりに装飾が少なく、防御性を重視している
  3. 城主の肖像画が全面に飾られている
答え:2. 床面積のわりに装飾が少なく、防御性を重視している
解説:
千鳥破風や唐破風などの華やかな屋根装飾は控えめで、外観は厚い板で覆われた黒い壁が中心。狭間や石落としなど防備のための要素が充実しており、質実剛健な造りと評されます。

26. 松江城の木造鯱鉾は「雄」と「雌」の2体がいますが、そのうち雄の高さはどれくらいでしょうか?

  1. 約1.2m
  2. 約2.08m
  3. 約3.5m
答え:2. 約2.08m
解説:
昭和期に造り直された現在の鯱鉾は、雄が約2.08mで木造としては日本一の大きさ。雌はやや小さめですが、同じく迫力あるサイズです。

27. 江戸時代初頭、「京極忠高」が松江城主となったのは何がきっかけでしょうか?

  1. 堀尾家が無嗣改易となったため
  2. 京極家が信濃国から転封されたため
  3. 徳川家康から直接与えられたため
答え:1. 堀尾家が無嗣改易となったため
解説:
第2代城主・堀尾忠晴が後継者なく亡くなり、堀尾家は改易に。代わって京極忠高が入城し、その後わずか数年で松平家に城主が交替します。

28. 松江城の城山公園内では、夜間に城がライトアップされます。おおむねどの時間帯まで照らされているでしょうか?

  1. 夕暮れから午後7時まで
  2. 夕暮れから午後10時まで
  3. 深夜0時まで
答え:2. 夕暮れから午後10時まで
解説:
時期によって点灯開始時刻は異なりますが、通年でおおむね22時までライトアップが行われています。夕陽から月光へ変化する演出も見どころです。

29. 松江城の築城当初の天守の形状は、現在と異なっていた可能性があります。その理由として挙げられるのはどれでしょうか?

  1. 江戸時代の大火で屋根部分だけ焼失した記録があるから
  2. 古絵図(正保城絵図)に千鳥破風・唐破風がある層塔形が描かれているから
  3. 幕末にヨーロッパ風の塔屋を増設したから
答え:2. 古絵図(正保城絵図)に千鳥破風・唐破風がある層塔形が描かれているから
解説:
正保城絵図に描かれた姿と現在の姿に差異があるため、18世紀後半の修理で望楼型に変わったとする説があります。

まとめ

以上、29問の3択クイズと簡単な解説でした。

松江城は「不戦の城」と呼ばれる姫路城などとはまた異なる、質実剛健さや歴史的ドラマを多く抱えた名城です。

国宝としての価値と、現存天守ならではの見応えをぜひ現地で体感してみてください。

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