姫路城に関する3択クイズを27問ご用意しました。
各問の後に「答え」と「解説」を付けています。ぜひお楽しみください。
1. 姫路城は、現在の建築の前身となる姫山城が最初に築かれたのは何年と言われているでしょうか?
- 1333年(元弘3年)
- 1346年(正平元年)
- 1467年(応仁元年)
答え:2. 1346年(正平元年)
解説:
1333年に赤松則村が姫山に砦を築いたのが始まりとされますが、1346年にその次男・赤松貞範が改修して「姫山城」を築いたのが、現在の姫路城の前身といわれています。
解説:
1333年に赤松則村が姫山に砦を築いたのが始まりとされますが、1346年にその次男・赤松貞範が改修して「姫山城」を築いたのが、現在の姫路城の前身といわれています。
2. 姫路城が世界文化遺産に登録されたのは次のうち何年でしょうか?
- 1931年(昭和6年)
- 1993年(平成5年)
- 2009年(平成21年)
答え:2. 1993年(平成5年)
解説:
姫路城は奈良の法隆寺とともに、日本初のユネスコ世界文化遺産に登録されました。日本の木造建築を代表する美しさと、防御性を兼ね備えた構造が高く評価されています。
解説:
姫路城は奈良の法隆寺とともに、日本初のユネスコ世界文化遺産に登録されました。日本の木造建築を代表する美しさと、防御性を兼ね備えた構造が高く評価されています。
3. 姫路城の大天守が国宝に指定されたのはいつでしょうか?
- 1931年(昭和6年)
- 1945年(昭和20年)
- 1970年(昭和45年)
答え:1. 1931年(昭和6年)
解説:
昭和初期の1931年、天守閣が国宝に指定されました。その後、姫路城の他の天守群や櫓なども次々に重要文化財や国宝に指定されています。
解説:
昭和初期の1931年、天守閣が国宝に指定されました。その後、姫路城の他の天守群や櫓なども次々に重要文化財や国宝に指定されています。
4. 姫路城の別名として最も有名な呼び名は何でしょうか?
- 烏城(うじょう)
- 白鷺城(しらさぎじょう/はくろじょう)
- 鶴城(つるじょう)
答え:2. 白鷺城(しらさぎじょう/はくろじょう)
解説:
姫路城は外壁の白漆喰が羽を広げる白鷺のように見えることから「白鷺城」と呼ばれます。「不戦の城」「白い不死鳥」という異名もあり、その優美な姿が世界的にも高く評価されています。
解説:
姫路城は外壁の白漆喰が羽を広げる白鷺のように見えることから「白鷺城」と呼ばれます。「不戦の城」「白い不死鳥」という異名もあり、その優美な姿が世界的にも高く評価されています。
5. 姫路城を大改修し、三層の天守を築いた戦国武将は誰でしょうか?
- 豊臣秀吉
- 織田信長
- 徳川家康
答え:1. 豊臣秀吉
解説:
1580年(天正8年)、秀吉が西国統治の拠点として姫路城に入城し、石垣を築くなど大改修を行って三層天守を建てました。これにより姫路城は一気に拡張され、城の名が全国に知られるようになりました。
解説:
1580年(天正8年)、秀吉が西国統治の拠点として姫路城に入城し、石垣を築くなど大改修を行って三層天守を建てました。これにより姫路城は一気に拡張され、城の名が全国に知られるようになりました。
6. 1609年に五層の大天守を完成させ、現在の姫路城の姿を築いた人物は誰でしょうか?
- 池田輝政(いけだ てるまさ)
- 前田利家(まえだ としいえ)
- 黒田官兵衛(くろだ かんべえ)
答え:1. 池田輝政
解説:
関ヶ原の戦い後に姫路城主となった池田輝政は、1601年から大改築に着手し、9年の歳月をかけて五層の大天守を完成させました。このとき築かれた「白漆喰総塗籠造」によって現在の白く美しい外観が形づくられました。
解説:
関ヶ原の戦い後に姫路城主となった池田輝政は、1601年から大改築に着手し、9年の歳月をかけて五層の大天守を完成させました。このとき築かれた「白漆喰総塗籠造」によって現在の白く美しい外観が形づくられました。
7. 姫路城の西の丸を与えられた、徳川家康の孫娘であるお姫様は誰でしょうか?
- 千姫
- 八重姫
- 天樹院
答え:1. 千姫
解説:
徳川秀忠の娘であり家康の孫にあたる千姫は、大阪夏の陣で豊臣秀頼を失った後、本多忠刻と再婚。その際に本多家の城主・本多忠政から西の丸と化粧櫓が与えられました。
解説:
徳川秀忠の娘であり家康の孫にあたる千姫は、大阪夏の陣で豊臣秀頼を失った後、本多忠刻と再婚。その際に本多家の城主・本多忠政から西の丸と化粧櫓が与えられました。
8. 姫路城の別名として「不戦・不滅の城」と呼ばれる最も大きな理由は何でしょうか?
- 立地が山奥で敵が近づけなかったから
- 幕末と太平洋戦争の危機を奇跡的に乗り越えたから
- 天守が平地より低い位置にあって狙われなかったから
答え:2. 幕末と太平洋戦争の危機を奇跡的に乗り越えたから
解説:
幕末の動乱や第二次世界大戦の空襲でも大きな被害を被ることなく残ったことから、「不戦・不滅の城」という異名をとっています。
解説:
幕末の動乱や第二次世界大戦の空襲でも大きな被害を被ることなく残ったことから、「不戦・不滅の城」という異名をとっています。
9. 姫路城を実際に回る所要時間の目安として一般的に言われているのはどれくらいでしょうか?
- 約30分
- 約1.5~2時間
- 半日以上
答え:2. 約1.5~2時間
解説:
姫路城は広大な敷地と見どころが多いため、一般的には天守まで含めて1時間半から2時間ほど見学に要するといわれています。ゆっくり回りたい場合は、もう少し時間をとるのもおすすめです。
解説:
姫路城は広大な敷地と見どころが多いため、一般的には天守まで含めて1時間半から2時間ほど見学に要するといわれています。ゆっくり回りたい場合は、もう少し時間をとるのもおすすめです。
10. 姫路城の最後の城主は誰でしょうか?
- 酒井忠邦(さかい ただくに)
- 榊原康政(さかきばら やすまさ)
- 松平家信(まつだいら いえのぶ)
答え:1. 酒井忠邦
解説:
江戸時代以降、池田氏・本多氏・松平氏・榊原氏・再び松平(結城)氏・そして酒井氏と城主が変わり、最終的に明治維新を迎えるまで酒井家が119年にわたって10代にわたり城主を務めました。
解説:
江戸時代以降、池田氏・本多氏・松平氏・榊原氏・再び松平(結城)氏・そして酒井氏と城主が変わり、最終的に明治維新を迎えるまで酒井家が119年にわたって10代にわたり城主を務めました。
11. 姫路城が広く「白漆喰」で外壁を塗り込めているのはなぜでしょうか?
- 白色のほうが建材が安かったから
- 虫除け効果が強かったから
- 池田輝政の時代に耐火性と美観を重視したから
答え:3. 池田輝政の時代に耐火性と美観を重視したから
解説:
「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)」によって、美しさだけでなく防火効果も得られます。これにより姫路城特有の白さが実現しました。
解説:
「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)」によって、美しさだけでなく防火効果も得られます。これにより姫路城特有の白さが実現しました。
12. 姫路城の大天守を含む天守群の構造は何式天守と呼ばれるでしょうか?
- 望楼式天守
- 層塔式天守
- 連立式天守
答え:3. 連立式天守
解説:
大天守を中心に東小天守・乾小天守・西小天守が渡櫓でつながっている形式を「連立式天守」と呼びます。姫路城はこの連立式天守を持つ城郭建築の代表例とされています。
解説:
大天守を中心に東小天守・乾小天守・西小天守が渡櫓でつながっている形式を「連立式天守」と呼びます。姫路城はこの連立式天守を持つ城郭建築の代表例とされています。
13. 姫路城のシャチホコは、すべて“ある性別”を表現していると言われています。次のうちどれでしょうか?
- オス
- メス
- 性別は特に決まっていない
答え:2. メス
解説:
姫路城に飾られているシャチホコは、すべて“メス”といわれています。シャチホコは火除けや厄除けの意味で取り付けられており、城の守り神とされています。
解説:
姫路城に飾られているシャチホコは、すべて“メス”といわれています。シャチホコは火除けや厄除けの意味で取り付けられており、城の守り神とされています。
14. 姫路城の瓦に一枚だけ上下逆さまになっているものがあるとされる理由は何でしょうか?
- 遊び心として大工がわざとつけた
- 池田家の家紋を邪悪なものから守るためのまじない
- 瓦が足りなくなり急いで裏返した
答え:2. 池田家の家紋を邪悪なものから守るためのまじない
解説:
池田家の揚羽蝶(あげはちょう)の家紋が1枚だけ逆さまにされており、魔除けや邪気払いの意図があったと伝えられています。
解説:
池田家の揚羽蝶(あげはちょう)の家紋が1枚だけ逆さまにされており、魔除けや邪気払いの意図があったと伝えられています。
15. 姫路城の中で怪談「播州皿屋敷」の舞台として有名な場所はどこでしょうか?
- お菊井戸
- 千姫ぼたん園
- 西の丸長局
答え:1. お菊井戸
解説:
姫路城内の「上山里丸」にある井戸で、女中・お菊が皿のことで無実の罪を着せられ井戸に投げ込まれたという怪談「播州皿屋敷」の舞台として知られています。
解説:
姫路城内の「上山里丸」にある井戸で、女中・お菊が皿のことで無実の罪を着せられ井戸に投げ込まれたという怪談「播州皿屋敷」の舞台として知られています。
16. 姫路城の石垣で扇を広げたような曲線を描くことから名付けられた呼び名は何でしょうか?
- 矢狭間の勾配
- 扇の勾配
- 螺旋(らせん)の勾配
答え:2. 扇の勾配
解説:
1601年以降、池田輝政が築いた石垣のうち、扇を開いたように美しく曲線を描いている部分を「扇の勾配」と呼びます。上部ほど急勾配になっているため、敵の侵入を防ぐ役割もありました。
解説:
1601年以降、池田輝政が築いた石垣のうち、扇を開いたように美しく曲線を描いている部分を「扇の勾配」と呼びます。上部ほど急勾配になっているため、敵の侵入を防ぐ役割もありました。
17. 姫路城は第二次世界大戦中に焼夷弾が直撃したにもかかわらず焼失を免れましたが、その理由は何でしょうか?
- すぐ消火活動を行ったから
- 焼夷弾が不発だったから
- 城全体を地下構造にしたから
答え:2. 焼夷弾が不発だったから
解説:
1945年の空襲で天守閣に焼夷弾が落ちましたが、不発弾であったため大火災にならずに済みました。この奇跡的な出来事も「不戦の城」と呼ばれる一因となっています。
解説:
1945年の空襲で天守閣に焼夷弾が落ちましたが、不発弾であったため大火災にならずに済みました。この奇跡的な出来事も「不戦の城」と呼ばれる一因となっています。
18. 姫路城の最初にして最大の門で、櫓門の上部に木彫りの菱紋が飾られている門はどれでしょうか?
- 菱の門
- 桜門
- りの門
答え:1. 菱の門
解説:
「菱の門」は二の丸への入り口にあたる大きな櫓門で、両柱の上部には菱形の彫刻が施されています。枡形虎口などの防御構造も兼ね備え、敵の侵入を阻む作りになっています。
解説:
「菱の門」は二の丸への入り口にあたる大きな櫓門で、両柱の上部には菱形の彫刻が施されています。枡形虎口などの防御構造も兼ね備え、敵の侵入を阻む作りになっています。
19. 関ヶ原の戦いで勝利した後、姫路城主として入った池田輝政が改修に着手したのは何年でしょうか?
- 1600年(慶長5年)
- 1601年(慶長6年)
- 1609年(慶長14年)
答え:2. 1601年(慶長6年)
解説:
池田輝政は1600年の関ヶ原の戦い後、翌年の1601年から大改修に着手し、9年をかけて五層の大天守を完成させました。
解説:
池田輝政は1600年の関ヶ原の戦い後、翌年の1601年から大改修に着手し、9年をかけて五層の大天守を完成させました。
20. 姫路城の天守を含む建築群が「現存12天守」と呼ばれる理由は何でしょうか?
- 日本で12番目に古い城だから
- 江戸時代以前の天守がそのまま残っている12城の一つだから
- 大天守が高さ12mしかないから
答え:2. 江戸時代以前の天守がそのまま残っている12城の一つだから
解説:
現存12天守とは、江戸時代以前に建造され、主要部分が当時のまま残る天守を持つ城の総称です。姫路城はその代表格の一つとされています。
解説:
現存12天守とは、江戸時代以前に建造され、主要部分が当時のまま残る天守を持つ城の総称です。姫路城はその代表格の一つとされています。
21. 西の丸にある「化粧櫓(けしょうやぐら)」が千姫に与えられたときの化粧料は何万石と伝えられているでしょうか?
- 5万石
- 7万石
- 10万石
答え:3. 10万石
解説:
千姫が姫路城に入った際、本多忠刻の父・本多忠政から化粧料10万石として与えられたのが「化粧櫓」です。千姫ゆかりのスポットとして人気があります。
解説:
千姫が姫路城に入った際、本多忠刻の父・本多忠政から化粧料10万石として与えられたのが「化粧櫓」です。千姫ゆかりのスポットとして人気があります。
22. 姫路城は播磨国の要衝として建てられましたが、地形上どのような城に分類されるでしょうか?
- 平山城
- 平城
- 山城
答え:1. 平山城
解説:
姫路城は市街地北側の小高い丘(姫山)を中心に築かれた平山城です。標高約45.6mの地形を活かしながら、周囲を堀や土塁で固めた縄張になっています。
解説:
姫路城は市街地北側の小高い丘(姫山)を中心に築かれた平山城です。標高約45.6mの地形を活かしながら、周囲を堀や土塁で固めた縄張になっています。
23. 姫路城の瓦を守るため、かつて「黒い網」で全体を覆った理由は何でしょうか?
- 外観を黒くすることで威圧感を与えるため
- 白漆喰の壁面を黒い塗料で汚さないようにするため
- 防風対策のため
答え:2. 白漆喰の壁面を黒い塗料で汚さないようにするため
解説:
近代の工事の際、文化財としての価値を損ねないよう、黒い塗料を直接塗るのではなく、“黒い網”で覆うことで足場と保護を両立したと伝えられています。
解説:
近代の工事の際、文化財としての価値を損ねないよう、黒い塗料を直接塗るのではなく、“黒い網”で覆うことで足場と保護を両立したと伝えられています。
24. 姫路城の堅固な防御構造として、門の通路を何度も折り曲げて敵の攻撃を遅らせる仕組みがあります。このような構造を何と呼ぶでしょうか?
- 向かい虎口
- 枡形虎口
- 丁字虎口
答え:2. 枡形虎口
解説:
門を二重・三重に折り曲げ、狭い空間に敵を誘い込む構造です。菱の門などに採用されており、防御力を高めています。
解説:
門を二重・三重に折り曲げ、狭い空間に敵を誘い込む構造です。菱の門などに採用されており、防御力を高めています。
25. 姫路城内にある西の丸長局は、一般的に何と呼ばれているでしょうか?
- 百閒廊下
- 長御殿
- 千姫廊下
答え:1. 百閒廊下
解説:
西の丸長局は約300mもの長さがあり、そこに多くの小部屋が並んでいたことから「百閒廊下(ひゃっけんろうか)」と呼ばれます。千姫付きの侍女らが住んでいたともいわれています。
解説:
西の丸長局は約300mもの長さがあり、そこに多くの小部屋が並んでいたことから「百閒廊下(ひゃっけんろうか)」と呼ばれます。千姫付きの侍女らが住んでいたともいわれています。
26. 姫路城では毎日、日没から午後10時まで実施されている演出は何でしょうか?
- プロジェクションマッピング
- ライトアップ
- 花火の打ち上げ
答え:2. ライトアップ
解説:
姫路城では日没から午後10時まで天守閣を中心にライトアップが行われ、白く美しい姿が夜空に浮かび上がります。四季折々でライトアップの色が変わる演出がされることもあります。
解説:
姫路城では日没から午後10時まで天守閣を中心にライトアップが行われ、白く美しい姿が夜空に浮かび上がります。四季折々でライトアップの色が変わる演出がされることもあります。
27. 姫路城は約52万石の居城として知られていますが、この石高で居城としていたのは次のうちどの大名家でしょうか?
- 池田家
- 前田家
- 伊達家
答え:1. 池田家
解説:
池田家が姫路城を拠点とした際、52万石を領し大規模な石高を有する大藩として栄えました。後に本多家や松平家(奥平・結城)などを経て、最終的には酒井家が城主となり明治維新を迎えます。
解説:
池田家が姫路城を拠点とした際、52万石を領し大規模な石高を有する大藩として栄えました。後に本多家や松平家(奥平・結城)などを経て、最終的には酒井家が城主となり明治維新を迎えます。
まとめ
以上、27問の3択クイズと簡単な解説でした。
姫路城はその優美さだけでなく、防御や歴史的背景など多彩なエピソードを持つ名城です。
ぜひ実際に訪れて、その壮大さを肌で感じてみてください。