以下に、「大阪城」に関する3択クイズを25問ご用意しました。
各問の後に「答え」と「解説」を付けています。ぜひお楽しみください。
1. 大阪城はもともと何という寺院の跡地に築かれたでしょうか?
- 石山本願寺
- 東大寺
- 清水寺
答え:1. 石山本願寺
解説: 大阪城は、もともと浄土真宗本願寺派の本山である「石山本願寺」の跡地に建造されました。豊臣秀吉が石山本願寺跡を引き継ぎ、天下統一の拠点として築城を始めたのが始まりです。
解説: 大阪城は、もともと浄土真宗本願寺派の本山である「石山本願寺」の跡地に建造されました。豊臣秀吉が石山本願寺跡を引き継ぎ、天下統一の拠点として築城を始めたのが始まりです。
2. 豊臣秀吉が築いた「大坂城」の築城開始は西暦何年でしょうか?
- 1583年(天正11年)
- 1600年(慶長5年)
- 1615年(元和元年)
答え:1. 1583年(天正11年)
解説: 豊臣秀吉は、1583年(天正11年)に大坂城(当時は「大坂」表記)の築城を開始しました。その2年後には天守閣が完成したといわれています。
解説: 豊臣秀吉は、1583年(天正11年)に大坂城(当時は「大坂」表記)の築城を開始しました。その2年後には天守閣が完成したといわれています。
3. 大阪城の別称として正しいものはどれでしょうか?
- 錦城(きんじょう/金城)
- 松前城(まつまえじょう)
- 駿府城(すんぷじょう)
答え:1. 錦城(きんじょう/金城)
解説: 大阪城は「錦城(きんじょう/金城)」という別称を持ちます。金色の装飾が輝く天守閣などから、このような呼び名が生まれたともいわれています。
解説: 大阪城は「錦城(きんじょう/金城)」という別称を持ちます。金色の装飾が輝く天守閣などから、このような呼び名が生まれたともいわれています。
4. 大阪城の天守閣が初めて焼失した要因は何でしょうか?
- 台風の被害
- 地震による倒壊
- 大坂夏の陣での戦火
答え:3. 大坂夏の陣での戦火
解説: 1615年(元和元年)の大坂夏の陣により豊臣氏は滅亡し、初代大坂城の天守閣もこの戦いで焼失しました。
解説: 1615年(元和元年)の大坂夏の陣により豊臣氏は滅亡し、初代大坂城の天守閣もこの戦いで焼失しました。
5. 徳川幕府によって再建された後、天守閣が再び焼失した原因は何でしょうか?
- 大火事
- 落雷
- 戦国期の兵火
答え:2. 落雷
解説: 徳川幕府が大坂城を再建しましたが、寛文5年(1665)に落雷によって天守閣が焼失してしまいました。その後、長らく天守閣のない状態が続きます。
解説: 徳川幕府が大坂城を再建しましたが、寛文5年(1665)に落雷によって天守閣が焼失してしまいました。その後、長らく天守閣のない状態が続きます。
6. 現在の天守閣は、昭和6年(1931年)にどのようにして建造されたでしょうか?
- 国の予算のみで再建
- 市民の寄付を集めて建造
- 豊臣家の子孫が私費で再建
答え:2. 市民の寄付を集めて建造
解説: 当時の大阪市長・関一の呼びかけで市民から寄付を募り、その資金によって1931年に天守閣が復興されました。不況下にもかかわらず、多額の寄付が短期間で集まったと伝えられています。
解説: 当時の大阪市長・関一の呼びかけで市民から寄付を募り、その資金によって1931年に天守閣が復興されました。不況下にもかかわらず、多額の寄付が短期間で集まったと伝えられています。
7. 現在の天守閣の高さは約どれくらいでしょうか?
- 35m
- 55m
- 75m
答え:2. 55m
解説: 昭和に復興された天守閣は、地上約55mの高さを誇ります。外観は5層、内部は8階構造で、8階部分が展望台となっています。
解説: 昭和に復興された天守閣は、地上約55mの高さを誇ります。外観は5層、内部は8階構造で、8階部分が展望台となっています。
8. 現在の大阪城天守閣はどんな構造で建てられているでしょうか?
- 木造建築
- 鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC造)
- 全面ガラス張りの近代建築
答え:2. 鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC造)
解説: 徳川時代の天守台石垣上に鉄骨鉄筋コンクリートで再建された「模擬天守」です。内部にはエレベーターも設置され、博物館として活用されています。
解説: 徳川時代の天守台石垣上に鉄骨鉄筋コンクリートで再建された「模擬天守」です。内部にはエレベーターも設置され、博物館として活用されています。
9. 現在の大阪城天守閣が国の文化財として登録されている区分は何でしょうか?
- 重要文化財
- 国宝
- 登録有形文化財
答え:3. 登録有形文化財
解説: 1997年(平成9年)に現在の大阪城天守閣は国の登録有形文化財となりました。重要文化財に指定されているわけではなく、“保存・活用が特に必要”とされる登録有形文化財として扱われています。
解説: 1997年(平成9年)に現在の大阪城天守閣は国の登録有形文化財となりました。重要文化財に指定されているわけではなく、“保存・活用が特に必要”とされる登録有形文化財として扱われています。
10. 大坂城(大阪城)の表記が「大坂」から「大阪」に変化していったのはおおよそいつ頃でしょうか?
- 江戸時代初期
- 江戸時代末期
- 明治5年頃
答え:3. 明治5年頃
解説: 「大坂」表記は近世から使用されていましたが、1872(明治5)年頃から「大阪」の表記に改められています。これに伴い、「大坂城」は「大阪城」と表記されるのが一般的になりました。
解説: 「大坂」表記は近世から使用されていましたが、1872(明治5)年頃から「大阪」の表記に改められています。これに伴い、「大坂城」は「大阪城」と表記されるのが一般的になりました。
11. 大阪城に現存する建物で、江戸時代に建てられたものが国の重要文化財として複数指定されています。そのうち「櫓」だけでいくつ指定されているでしょうか?
- 3棟
- 5棟
- 6棟
答え:2. 5棟(多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、六番櫓、一番櫓)
解説: 大阪城には江戸時代に建てられた門や塀、櫓などが13棟現存しており、そのうち櫓は多聞櫓・千貫櫓・乾櫓・六番櫓・一番櫓が重要文化財となっています。
解説: 大阪城には江戸時代に建てられた門や塀、櫓などが13棟現存しており、そのうち櫓は多聞櫓・千貫櫓・乾櫓・六番櫓・一番櫓が重要文化財となっています。
12. 大阪城の石垣に使用されている石材は主に何でしょうか?
- 砂岩
- 花崗岩(かこうがん)
- 石灰岩
答え:2. 花崗岩(かこうがん)
解説: 徳川時代の再建期には、切石の花崗岩が主に使われました。近隣の山や九州方面から運ばれたとされていますが、数十トン級の巨石を当時の人力で運んだことが驚きです。
解説: 徳川時代の再建期には、切石の花崗岩が主に使われました。近隣の山や九州方面から運ばれたとされていますが、数十トン級の巨石を当時の人力で運んだことが驚きです。
13. 本丸の正門付近にある、日本最大級といわれる巨石の名前は何でしょうか?
- 猿石
- 蛸石
- 鬼石
答え:2. 蛸石(たこいし)
解説: 高さ約5.5m、幅約11.7m、重さ約108tとされる非常に大きな石です。蛸のような模様があることから「蛸石」と呼ばれ、見応えのある名所となっています。
解説: 高さ約5.5m、幅約11.7m、重さ約108tとされる非常に大きな石です。蛸のような模様があることから「蛸石」と呼ばれ、見応えのある名所となっています。
14. 大阪城公園の広さは約どれくらいでしょうか?
- 10.5ヘクタール
- 105.6ヘクタール
- 710,000平方メートル(71ヘクタール)
答え:2. 105.6ヘクタール
解説: 大阪城公園は1931年(昭和6年)に開園した都市公園で、敷地面積は約105.6haにおよびます。梅林や西の丸庭園など緑豊かな空間やスポーツ施設、ホールなども設置されています。
解説: 大阪城公園は1931年(昭和6年)に開園した都市公園で、敷地面積は約105.6haにおよびます。梅林や西の丸庭園など緑豊かな空間やスポーツ施設、ホールなども設置されています。
15. 大阪城天守閣の最上階(8階)はどのように利用されているでしょうか?
- 宿泊施設
- 展望台
- レストランフロア
答え:2. 展望台
解説: 天守閣の最上階は展望台になっており、高さ約50~55mから大阪市内を一望することができます。戦国武将の気分で大阪の街を眺められる人気スポットです。
解説: 天守閣の最上階は展望台になっており、高さ約50~55mから大阪市内を一望することができます。戦国武将の気分で大阪の街を眺められる人気スポットです。
16. 豊臣秀吉の命で、大坂城の築城を指揮した人物として知られる軍師は誰でしょうか?
- 黒田官兵衛
- 竹中半兵衛
- 片倉小十郎
答え:1. 藤堂高虎
解説: 徳川幕府による大坂城再建では、築城の名手として知られる藤堂高虎が総普請奉行を務めました。加えて、小堀遠州らも建築工事に関わっています。
解説: 徳川幕府による大坂城再建では、築城の名手として知られる藤堂高虎が総普請奉行を務めました。加えて、小堀遠州らも建築工事に関わっています。
17. 2025年4月1日から公開が予定されている「豊臣時代の石垣」を一般公開する施設の名称は何でしょうか?
- 豊臣石垣館
- 石垣記念館
- 地下石垣資料館
答え:1. 豊臣石垣館
解説: 2025年4月1日から、豊臣時代の石垣を掘り起こして一般公開する「豊臣石垣館」が開業予定です。地下に封じ込められていた秀吉時代の石垣を間近で観覧できるようになります。
解説: 2025年4月1日から、豊臣時代の石垣を掘り起こして一般公開する「豊臣石垣館」が開業予定です。地下に封じ込められていた秀吉時代の石垣を間近で観覧できるようになります。
18. 豊臣秀吉が用いた兜として有名な「馬藺後立付兜(ばりんうしろだてつきかぶと)」の後立は何の葉を模したものでしょうか?
- 松の葉
- 馬藺(ばりん)の葉
- 竹の葉
答え:2. 馬藺(ばりん)の葉
解説: 馬藺はショウブ(菖蒲)の一種で、その葉をかたどった29本の後立が特徴的です。大阪城天守閣の試着体験コーナーでは、豊臣秀吉の兜を模したものも着用できます。
解説: 馬藺はショウブ(菖蒲)の一種で、その葉をかたどった29本の後立が特徴的です。大阪城天守閣の試着体験コーナーでは、豊臣秀吉の兜を模したものも着用できます。
19. 江戸時代に建てられ、国の重要文化財に指定されている門として代表的なものはどれでしょうか?
- 桜門・大手門
- 極楽橋
- 虎口(とらぐち)門
答え:1. 桜門・大手門
解説: 大手門や桜門は江戸時代に建造された門で、現在は国の重要文化財として指定されています。石垣と組み合わさった姿は当時の城郭建築の特徴を今に伝えています。
解説: 大手門や桜門は江戸時代に建造された門で、現在は国の重要文化財として指定されています。石垣と組み合わさった姿は当時の城郭建築の特徴を今に伝えています。
20. 豊臣秀吉が亡くなった後、息子の秀頼が籠城して滅亡に追い込まれた戦いは何でしょうか?
- 関ヶ原の戦い
- 大坂の陣
- 桶狭間の戦い
答え:2. 大坂の陣
解説: 豊臣秀吉の死後、息子・秀頼が大阪城に拠って徳川軍と対立しましたが、最終的に大坂夏の陣(1615年)で落城し、豊臣家は滅亡しました。
解説: 豊臣秀吉の死後、息子・秀頼が大阪城に拠って徳川軍と対立しましたが、最終的に大坂夏の陣(1615年)で落城し、豊臣家は滅亡しました。
21. 昭和期の天守閣復興以降、大阪城は市民にとってどのような存在となったでしょうか?
- 軍事要塞としての活用
- 大阪のシンボル・観光名所
- 完全に放置された遺跡
答え:2. 大阪のシンボル・観光名所
解説: 1931年(昭和6年)の天守閣復興以降、観光地としても多くの人々を惹きつけ、「太閤さんのお城」と親しまれています。国際会議やイベントの舞台にもなりました。
解説: 1931年(昭和6年)の天守閣復興以降、観光地としても多くの人々を惹きつけ、「太閤さんのお城」と親しまれています。国際会議やイベントの舞台にもなりました。
22. 2019年に大阪城を背景に記念撮影をした大規模国際会議はどれでしょうか?
- G20大阪サミット
- G7伊勢志摩サミット
- COP21
答え:1. G20大阪サミット
解説: 2019年に開催されたG20大阪サミットでは、各国首脳が大阪城を背景に写真撮影を行い、世界に大阪のシンボルを印象づけました。
解説: 2019年に開催されたG20大阪サミットでは、各国首脳が大阪城を背景に写真撮影を行い、世界に大阪のシンボルを印象づけました。
23. 昭和6年(1931年)に再建された天守閣は、設計上どんな工夫がされていたでしょうか?
- 完全に豊臣時代と同じ木造技術を再現
- 鉄筋コンクリート造で、内部を博物館として活用する構想
- 徳川幕府の屋敷を転用して再建
答え:2. 鉄筋コンクリート造で、内部を博物館として活用する構想
解説: 再建時には、豊臣時代の姿を屏風絵などから想像して外観を再現しつつ、鉄骨鉄筋コンクリート造とし、さらに内部を歴史博物館として利用するという革新的なアイデアが盛り込まれました。
解説: 再建時には、豊臣時代の姿を屏風絵などから想像して外観を再現しつつ、鉄骨鉄筋コンクリート造とし、さらに内部を歴史博物館として利用するという革新的なアイデアが盛り込まれました。
24. 大阪城の堀を巡る観光アクティビティ「大阪城御座船」の外観はどんな特徴があるでしょうか?
- 真っ白な帆船
- 金箔をふんだんに使った船
- 潜水艦のような構造
答え:2. 金箔をふんだんに使った船
解説: 「大阪城御座船」は金箔をふんだんに使い、かつての「鳳凰丸」をモチーフにした豪華な船です。内堀を巡りながら、石垣などを間近で観察できます。
解説: 「大阪城御座船」は金箔をふんだんに使い、かつての「鳳凰丸」をモチーフにした豪華な船です。内堀を巡りながら、石垣などを間近で観察できます。
25. 長年にわたる歴史の中で、落城や焼失を何度も経験した大阪城が、現在も人々に愛される理由として最も適切なのはどれでしょうか?
- 国宝としての価値のみを重視しているから
- 軍事施設としての堅牢さが魅力だから
- 激動の歴史を経て復興し、市民とともに歩む象徴だから
答え:3. 激動の歴史を経て復興し、市民とともに歩む象徴だから
解説: 豊臣・徳川の時代から明治~昭和・令和まで、何度も姿を変えながら復興を重ね、市民の力を得て再建されてきた経緯が、大阪城を大阪の象徴として人々に親しまれる大きな理由です。
解説: 豊臣・徳川の時代から明治~昭和・令和まで、何度も姿を変えながら復興を重ね、市民の力を得て再建されてきた経緯が、大阪城を大阪の象徴として人々に親しまれる大きな理由です。
まとめ
これらのクイズを通じて、大阪城の壮大な歴史や文化的価値に触れていただければ幸いです。
ぜひ現地に足を運んで、実際の天守閣や石垣、周辺の施設を観覧しながら、大阪城の魅力を体感してみてください。