「丸岡城」に関するクイズを3択形式で25問ご用意しました。
各問の後に「答え」と「解説」を付けています。ぜひお楽しみください。
1. 丸岡城があるのはどこの都道府県でしょうか?
- 福井県
- 石川県
- 富山県
答え:1. 福井県
解説:
丸岡城は福井県坂井市丸岡町に位置しており、北陸地方唯一の現存天守を持つ城として知られています。
解説:
丸岡城は福井県坂井市丸岡町に位置しており、北陸地方唯一の現存天守を持つ城として知られています。
2. 丸岡城の別名は次のうちどれでしょうか?
- 白鷺城
- 霞ヶ城
- 猿啄城
答え:2. 霞ヶ城
解説:
大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説から、別名「霞ヶ城」と呼ばれています。
解説:
大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説から、別名「霞ヶ城」と呼ばれています。
3. 丸岡城を築城したとされるのは誰でしょうか?
- 柴田勝豊
- 前田利家
- 加藤清正
答え:1. 柴田勝豊
解説:
1576年(天正4年)、織田信長の家臣・柴田勝家の甥である柴田勝豊が築城したのが丸岡城の始まりです。
解説:
1576年(天正4年)、織田信長の家臣・柴田勝家の甥である柴田勝豊が築城したのが丸岡城の始まりです。
4. 丸岡城の天守は、現存12天守のひとつとして非常に貴重ですが、どのように分類される建築形式でしょうか?
- 複合連立式
- 独立式望楼型
- 層塔式
答え:2. 独立式望楼型
解説:
外見は2重、内部は3階建ての望楼型天守で、高さ約12mの比較的小さな天守です。
解説:
外見は2重、内部は3階建ての望楼型天守で、高さ約12mの比較的小さな天守です。
5. 屋根が石瓦で葺かれている珍しい構造は、現存天守では丸岡城だけです。その石瓦に使われている石は次のうちどれでしょうか?
- 笏谷石(しゃくだにいし)
- 御影石(みかげいし)
- 安山岩(あんざんがん)
答え:1. 笏谷石(しゃくだにいし)
解説:
丸岡城の屋根には地元福井県で産出される笏谷石が用いられ、その石瓦枚数はおよそ6000枚、総重量は120トンにも及びます。
解説:
丸岡城の屋根には地元福井県で産出される笏谷石が用いられ、その石瓦枚数はおよそ6000枚、総重量は120トンにも及びます。
6. 笏谷石の石瓦は、雨で濡れるとどんな色に変わるでしょうか?
- 黒
- 青
- 白
答え:2. 青
解説:
笏谷石は、水に濡れると青色に変化する特徴を持ち、雨の日には趣のある姿を見せます。
解説:
笏谷石は、水に濡れると青色に変化する特徴を持ち、雨の日には趣のある姿を見せます。
7. 丸岡城の天守台石垣は、どのような積み方によるものでしょうか?
- 切込接ぎ
- 野面積み
- 打込接ぎ
答え:2. 野面積み
解説:
石をほとんど加工せずそのまま積み上げる野面積みで築かれており、隙間が多いため排水性に優れ、大雨でも崩れにくいといわれています。
解説:
石をほとんど加工せずそのまま積み上げる野面積みで築かれており、隙間が多いため排水性に優れ、大雨でも崩れにくいといわれています。
8. 明治初期の廃城令により、丸岡城では天守のみが残されたとされています。その後、1948年(昭和23年)の福井地震では天守がどうなったでしょうか?
- 小規模な亀裂のみで済んだ
- 倒壊してしまった
- 無傷だった
答え:2. 倒壊してしまった
解説:
福井大地震によって天守は倒壊しましたが、部材の約70%を再利用して、1955年(昭和30年)に復元されています。
解説:
福井大地震によって天守は倒壊しましたが、部材の約70%を再利用して、1955年(昭和30年)に復元されています。
9. 福井地震で崩れた際に、屋根にあった石製の鯱(しゃちほこ)は現在どこに保管されているとされるでしょうか?
- 天守最上階の床下
- 天守に登る階段脇に展示
- 市役所の倉庫に保管
答え:2. 天守に登る階段脇に展示
解説:
震災前の石製鯱は、観光客が見られるよう天守の内部に保管・展示されています。
解説:
震災前の石製鯱は、観光客が見られるよう天守の内部に保管・展示されています。
10. 丸岡城の築造年代について、以前は戦国期の1576年建築説が有力視されていましたが、近年の学術調査ではどの時代の建築と推定されたでしょうか?
- 安土桃山時代初期
- 寛永年間(江戸時代)
- 大正時代
答え:2. 寛永年間(江戸時代)
解説:
2019年に公表された調査報告で、1624~1645年頃(寛永年間)に建てられた可能性が高いとされました。
解説:
2019年に公表された調査報告で、1624~1645年頃(寛永年間)に建てられた可能性が高いとされました。
11. 丸岡城の初代築城主・柴田勝豊は織田信長の家臣ですが、彼は誰の甥にあたると書かれているでしょうか?
- 斎藤道三
- 柴田勝家
- 滝川一益
答え:2. 柴田勝家
解説:
柴田勝豊は「北ノ庄城」(福井城)主として有名な柴田勝家の甥で、信長の命で越前方面の拠点として丸岡城を築いたとされます。
解説:
柴田勝豊は「北ノ庄城」(福井城)主として有名な柴田勝家の甥で、信長の命で越前方面の拠点として丸岡城を築いたとされます。
12. 江戸時代、丸岡藩の藩主として最初に名を連ねたのは誰でしょうか?
- 本多成重
- 今村盛次
- 有馬清純
答え:1. 本多成重
解説:
関ヶ原の戦い後、越前騒動などを経て城主となり、やがて丸岡藩が成立し本多成重が初代藩主となりました。
解説:
関ヶ原の戦い後、越前騒動などを経て城主となり、やがて丸岡藩が成立し本多成重が初代藩主となりました。
13. 藩主が交替して最終的に1869年(明治2年)まで丸岡城を治めた一族は次のうちどれでしょうか?
- 丹羽家
- 有馬家
- 京極家
答え:2. 有馬家
解説:
1695年(元禄8年)に有馬清純が丸岡城に入り、その後8代が続きました。明治維新を迎えるまで有馬氏が城主となります。
解説:
1695年(元禄8年)に有馬清純が丸岡城に入り、その後8代が続きました。明治維新を迎えるまで有馬氏が城主となります。
14. 丸岡城で著名な伝説のひとつに、人柱となった「お静」の話がありますが、この人柱が立てられた理由は何だったでしょうか?
- 城主の好みで儀式として必要だった
- 石垣が何度も崩れるため
- 地下水を引くための祈祷
答え:2. 石垣が何度も崩れるため
解説:
築城時に石垣が幾度積んでも崩れてしまったため、お静が人柱となったという伝説が残っています。
解説:
築城時に石垣が幾度積んでも崩れてしまったため、お静が人柱となったという伝説が残っています。
15. お静の人柱伝説では、堀に雨が降るとどのように呼ばれる雨だとされるでしょうか?
- 天地泣かす神の雨
- お静の涙雨
- 血の雨
答え:2. お静の涙雨
解説:
毎年4月になると大雨で堀があふれることがあり、それをお静の恨みの涙雨と呼ぶ伝承があります。
解説:
毎年4月になると大雨で堀があふれることがあり、それをお静の恨みの涙雨と呼ぶ伝承があります。
16. お静が人柱となる代わりに望んだ約束は、何をしてもらうことだったでしょうか?
- 自分の子を武士として取り立てる
- 屋敷と十分な糧を与える
- 毎年の供養を欠かさない
答え:1. 自分の子を武士として取り立てる
解説:
お静は貧しい生活から子を救うため人柱となりましたが、約束は果たされず無念の伝説が語られています。
解説:
お静は貧しい生活から子を救うため人柱となりましたが、約束は果たされず無念の伝説が語られています。
17. 丸岡城の天守内部では、防御的要素としてどのような仕掛けが見られるでしょうか?
- シークレットルームに隠し武器
- 石落としや狭間(さま)
- 釣り鐘台が設置されている
答え:2. 石落としや狭間(さま)
解説:
1階には石落としがあり、壁には銃や矢で攻撃できる狭間が設けられていて、戦国時代の戦闘を意識した構造です。
解説:
1階には石落としがあり、壁には銃や矢で攻撃できる狭間が設けられていて、戦国時代の戦闘を意識した構造です。
18. 丸岡城の内部階段は大変急勾配で有名ですが、その角度はおおよそどれくらいと書かれているでしょうか?
- 約45度
- 約60~67度
- 約80度
答え:2. 約60~67度
解説:
1階から2階への傾斜が約65度、2階から3階が約67度とも言われ、観光の際にはロープを掴んで登る必要があります。
解説:
1階から2階への傾斜が約65度、2階から3階が約67度とも言われ、観光の際にはロープを掴んで登る必要があります。
19. 丸岡城には城下に堀がありましたが、明治期にどうなったとされているでしょうか?
- 複数の堀が深く拡張された
- 内堀は埋め立てられ、外堀は水路として残った
- 周辺地域まで堀が増設された
答え:2. 内堀は埋め立てられ、外堀は水路として残った
解説:
かつての五角形の内堀は明治期に埋め立てられましたが、一部の外堀は田島川などの水路として残っています。
解説:
かつての五角形の内堀は明治期に埋め立てられましたが、一部の外堀は田島川などの水路として残っています。
20. 丸岡藩時代、初代藩主を務めたのは次のうち誰でしょうか?
- 今村盛次
- 本多成重
- 柴田勝家
答え:2. 本多成重
解説:
越前藩の附家老を経て、1624年に本多成重が丸岡藩主として独立して以来、丸岡藩が成立しました。
解説:
越前藩の附家老を経て、1624年に本多成重が丸岡藩主として独立して以来、丸岡藩が成立しました。
21. 明治初期に他の建造物が売却されて天守だけ残った丸岡城ですが、戦後の1955年にかけて天守はどのように処置されたでしょうか?
- 全面をコンクリートで補強した
- 約70%の部材を再利用して再建した
- 完全に新材で一から作り直した
22. 丸岡城の天守最上階を何という名称で呼んでいるでしょうか?
- 天井の間
- 御上段の間
- 天望の間
答え:1. 天井の間
解説:
最上階は「天井の間」と呼ばれ、四方に窓が開き、ここから日本海や三国海岸まで見渡せる大変見晴らしのよい空間です。
解説:
最上階は「天井の間」と呼ばれ、四方に窓が開き、ここから日本海や三国海岸まで見渡せる大変見晴らしのよい空間です。
23. 丸岡城の石落としや狭間はどの階に主に設けられているでしょうか?
- 地下1階
- 天守1階
- 天守3階
答え:2. 天守1階
解説:
外をうかがえる狭間や直下に向けて石を落とす石落としは、敵の侵入を防ぐ戦国時代らしい構造として天守1階付近に設けられています。
解説:
外をうかがえる狭間や直下に向けて石を落とす石落としは、敵の侵入を防ぐ戦国時代らしい構造として天守1階付近に設けられています。
24. 現在、丸岡城が国宝になることを目指しており、2015年(平成27年)に坂井市が発足させた組織は何でしょうか?
- 天守国宝化検討会
- 丸岡城国宝化推進室
- 霞ヶ城対策協議会
答え:2. 丸岡城国宝化推進室
解説:
坂井市では丸岡城の国宝指定を目指すため、公式に「丸岡城国宝化推進室」を設置して取り組んでいます。
解説:
坂井市では丸岡城の国宝指定を目指すため、公式に「丸岡城国宝化推進室」を設置して取り組んでいます。
25. 屋根に使用している石瓦の重量は全体でおよそ何トンあるでしょうか?
- 約60トン
- 約120トン
- 約200トン
答え:2. 約120トン
解説:
笏谷石の石瓦は1枚あたり20~60kgもあり、屋根全体で6000枚、合計120トンに及ぶため大変重厚な構造となっています。
解説:
笏谷石の石瓦は1枚あたり20~60kgもあり、屋根全体で6000枚、合計120トンに及ぶため大変重厚な構造となっています。
まとめ
丸岡城は伝説的な築城のいきさつや、豪雪対策として石瓦を使用した独特の天守が大きな特徴です。
地震での倒壊を乗り越え、再建された姿を今日まで伝えており、「お静の人柱伝説」や「日本一短い手紙」など、多彩な物語も残っています。
ぜひ現地で、その戦国風の天守を体感しながら歴史と伝説に思いを馳せてみてください。